「お、何食ってるの? 美味そうなものを食ってるじゃないか」70年前、大勝軒で“つけ麺”が誕生した瞬間
独立開店した山岸の弟子たちが活躍を始め、風向きが変わった
だが、ここからがしぶとい。つけ麺の可能性を見逃さなかった者たちがいたのだ。関東各地の町中華店主たちである。『大勝軒』はもともと町中華店なのだから、客との相性がいい。作業的には麺を締めて冷やす工程が加わるため手がかかるが、新メニューの開発に熱心な店や、客の要望に応えることに前向きな店が見よう見まねで導入。味のレベルにはばらつきがあったものの、徐々につけ麺を扱う店が増えていった。とはいえ、中華丼やタンメンのように町中華の定番に育つのはまだ先だ。 世間にインパクトを与えたのは、つけ麺のうまさを肌で知る職人たちだった。独立開店した山岸の弟子たちが活躍を始め、独自の味を追求する一部の店主が、『大勝軒』風ではないつけ麺を考案し、評判を取っていく。そして、それらの店で修業した面々が自分の店を持ち、なおも工夫を重ねる。さらに、つけ麺の専門店が生まれ、その成功に刺激されて新たな店がまたできる、という好循環が生まれていった。
彼らは多彩なメニューのひとつとしてつけ麺と向き合う町中華店とは比較にならないほど、味にこだわって他の専門店としのぎを削る。その成果は着実に客に浸透。全体のレベルアップを加速させた。いまではスープも『大勝軒』風の甘酸っぱいものばかりではなく、魚粉を効かせたもの、トマトを使った洋風タイプなど多様になり、行列の絶えない専門店が各地にできている。 それでも、つけ麺がどんなものか、全国の人が理解するようになり、スーパーで麺やスープが販売され、自宅で作る人が現れたのは今世紀に入ってからのことではないだろうか。
つけ麺はなぜここまで普及したのだろうか?
このように、つけ麺の特徴は、関東ローカルな食べ物から、ゆっくりと時間をかけて全国に広まっていった点にあると私は思う。そこが、戦前から存在し、戦後まもなく全国に普及、高度成長期に専門店が大量にでき、70年代以降、たびたびブームを巻き起こしてきたラーメンと決定的に異なる点だ。 テレビや情報誌が取り上げる頻度もラーメンとは比べ物にならないほど少なかったつけ麺は、外食産業の激しい競争をくぐり抜け、半世紀以上かかって“日本オリジナルの食文化”として定着してきた。 客の好みや時代に合わせ、進化をやめなかったのが勝因だが、ルーツである「特製もりそば」も過去のものにはなっていない。地域や客層に合わせて味を変えることを弟子たちに許していた山岸に、「おまえは俺の味を変えるな」と命じられた『お茶の水、大勝軒』がレシピを受け継ぎ、頑固に味を守っている。 では、つけ麺がここまで普及したのは、彼ら職人だけの功績なのか。私は、考案者の山岸が存命なら、町中華や専門店に通い、つけ麺が好きで食べてきた客たちこそが最大の功労者だと言うと思う。 70年前、常連客のリクエストに端を発したつけ麺の歴史は、脈々と受け継がれてきた無数の名もなき客たちの胃袋の歴史でもあるのだ。 ◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2025年の論点100 』に掲載されています。
北尾 トロ/ノンフィクション出版