海原純子「母親からは名前を呼ばれず、医師になっても認めてもらえなかった。<娘として愛されたい>求めても叶えられなかった過去が、今でも顔を出す」
伊藤 私の母もそう。私に期待していたことといえば、「キャリアを持って稼ぎつつ、性欲はなく男とも抱きあわず、しかし年頃になれば普通に結婚して家庭円満」という荒唐無稽な理想。 私が大人になり詩人になって、それが叶わないと知ると、キーッと地団駄を踏んだもんです。私のやりたいこと、能力、性格、生き方、すべて理解しようとしなかった。娘の人生であって、母の人生ではないのにね。 海原 性別が違う息子に対しては別ものと認識しやすいけれど、母娘は同性で遺伝的にも似た部分が多いぶん、同一化しやすい。「娘は自由に、自分らしく生きてほしい」と言いながら、適度に精神的な距離を保って、自分とは別の人格であると考えることがそもそも難しいんです。 伊藤 さらにいえば、人間って自分が強い立場になって、他者に影響を及ぼすことが快感なわけでしょう。恋愛にも似た部分があるけれど、親子関係はとくに子どもの生殺与奪の権利を親が握っているわけだから。叱りたくなったら叱れる、その万能感たるや、一度ハマったら抜け出すのは難しいのかもと思う。 海原 もう一つ厄介なのが、愛情の問題です。どんなに尊敬できない相手でもいちおう母親ですから、娘として愛されたい気持ちは私にもありました。 その求めても叶えられなかった過去が、ひょんなときに顔を出すんです。たとえば医師の学会で重要な講演を任されたときも、本番直前になって「私なんかでよかったのか」と足がすくんでしまう。いまだにそうですよ。 伊藤 それはつらい。私の周囲にも、世間的にちゃんと成功しているのに自己肯定感が妙に低い女性たちがいて。聞くとだいたい、母親から「ありのままの自分を愛してもらえなかった」という人が多いですね。 海原 私は母との関係が原因と自己分析して、対処法もある程度わかっています。でも、母娘関係の「ゆがみ」に気づけない、認めたくないという人は、人生のさまざまな場面で「自分なんて」という自己否定に囚われがちで、生きにくさを感じているのでは、と思いますね。
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