海原純子「母親からは名前を呼ばれず、医師になっても認めてもらえなかった。<娘として愛されたい>求めても叶えられなかった過去が、今でも顔を出す」
母娘の日常を綴ったエッセイもある詩人の伊藤比呂美さんと、心療内科医として家族関係に悩む人にも向き合っている海原純子さんは、それぞれ幼少期から母との距離に違和感を抱えてきたという。母を看取った、今の年齢だからこそ言えることとは(構成=山田真理 撮影=村山玄子(伊藤比呂美さん)/大河内禎(海原純子さん)) 【写真】海原さんが「母はタマネギみたいな人」と話す理由 * * * * * * * ◆菩薩と夜叉、二つの顔 海原 伊藤さんとは同世代で、互いに一人娘ですね。どのような母娘関係だったのですか。 伊藤 振り返ってみても、うまくつきあえなかったんですよね。正直言って好きな母ではなかった。いつも不機嫌、不満だらけで癇癪持ち。小さい頃から母に「ぐず」と言われ、「気が利かない」「何もできない」とののしられて育ちました。 私は69歳ですが、今でも紐がうまく結べなくて固結びになったりすると、母のイライラ声がどこかから聞こえてくる。(笑) 海原 私の場合、母に抱きしめられた記憶が3歳以降まったくありません。母親というより、近くにいる他人みたいでした。 以前、私のクリニックで働いていた女性のお母さんからの電話をとったとき、私を娘さんと間違えて「あ、Aちゃん?」とおっしゃって。そのときに、「そうか、世の中のお母さんは子どもを名前で呼ぶんだ。それもあんな優しい声で」と知って、ものすごくショックを受けました。 伊藤 海原さんは、どう呼ばれていたの? 海原 「あんた」です。それ以外はなかった。 伊藤 うちもそうだった。ほかに子どもがいないから、「あんた」で済んだのかもしれませんけどね。
海原 母は外ヅラがいいので、私はよく周りから「良いお母さんですね」と言われましたが、家ではまったく違う。じつは小学生のとき描いた母の似顔絵が残ってるんですが、顔の半分は菩薩のようで、半分は夜叉の表情でした。 伊藤 そうなんですか。子ども心に変だと感じていたんですね。 海原 小学校で「尊敬する人は」と聞かれると、同級生が「お父さん、お母さんです」と答えるのが信じられませんでした。とてもじゃないけど、ああいう人になりたいとは思えなかった。 伊藤 どういう部分で? 海原 嫌なことは人に押し付ける、弱い者にあたる、感情のコントロールが利かないなど、本当にいろいろ。でも最たるものは、母が人生で重きをおいたのが地位やお金、人と比べて勝つか負けるかだったこと。結果、私は行きたくもない私立のお嬢様学校を受験させられて。 伊藤 勉強に関しても、さぞや厳しかったんじゃないですか。 海原 私は獣医になろうと思ったくらい動物が好きで、手乗り文鳥を飼ってすごく可愛がっていたのだけど、ある日小学校から帰ったら、鳥籠がないの。 伊藤 うん。 海原 「どうしたの」と聞いたら、母が「人にあげちゃった。鳥とばかり遊んで勉強しないから」って――。鬼だと思いましたね。 伊藤 では、海原さんが無事医学部へ入って医師になったときは、大喜びだったでしょう。 海原 それはもう(笑)、自分の手柄だと思っているから。でも、私が何をやってもどう頑張っても、母が私を認めてくれることは一度もなかったんです。
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