「海を嫌いになることなんてできない」母になった“つなみの子” 10年後の決断 #知り続ける
斉藤家の家族は高台に避難、日向子さんも高台にある中学校にいて、みな無事だった。 筆者が初めて日向子さんに会ったのもその学校だった。2011年5月、被災地の小中高生に自身の体験を書いてもらえないかと尋ねて回っていたところ、中学校の体育館横で日向子さんと会った。日向子さんは友人と一緒に引き受けてくれて、1週間後にこんな作文を寄せた。 <私の家も津波で流され、なくなってしまいました。私が生まれ育った故郷、気仙沼は、漁業で活気にみちあふれていました。私達は海を愛し、自然を大切にしてきました。その愛した海に気仙沼はやられ、壊滅的な被害を受けました>(『つなみ 被災地の子どもたちの作文集 完全版』) とりわけ地元・気仙沼に強い愛着を持ち、言葉にしていたのが日向子さんだった。 日向子さんは高校卒業後、気仙沼にとどまり、老舗海苔店に就職した。その頃、気仙沼では防潮堤の議論が盛んに行われていた。内湾地区では、高さ5メートル以上という国や県からの建設提案に対して、住民はもっと低くすべきだと押し返した。安全を優先する国に対し、海に親しんできた地元住民は壁のようになって海が見えないことを問題視していた。
当時の日向子さんも同じ思いだった。震災から5年後に寄せた作文集にはこう記している。 <また津波がきた時に街を守ってくれるのは防潮堤しかないだろう。命にかえられるものはない。私は初めて、復興に対して複雑な感情を抱いた。どれだけ嫌だと思っても何もできない自分が悔しかった。あれだけの被害をもたらした海でも、嫌いになることなんてできない。これからも、海と共に生きていきたい。気がつけばこのような気持ちが自分の中で芽生えていた>(『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』) そんな作文を書いた直後の春、日向子さんに転機があった。成海さんとの出会いだ。
親に守られる立場から守る立場へ 13年前からの変化
2016年春、帰宅途中にばったり、高校の同級生である尾形成海さんと再会した。二人は連絡先を交換し、ときどき遊びに行くようになった。その後、交際に発展。2020年10月に結婚した。 結婚生活は順調に進んだが、2021年夏、新居を購入しようという話になったとき、双方の家で議論が起きた。二人が買おうとした新築物件が津波の浸水区域にあたる場所、かつて大型船が乗り上げた場所に近い地域だったからだ。