かつての民主党と何が違う? 2つの「新党」が結党大会で打ち出したこと
新しい立憲民主党と新しい国民民主党の結党大会が同じ15日に開かれた。旧立憲民主党と旧国民民主党の議員らが合流してつくった新立憲民主党には衆参150人の議員が参加。一方、合流新党に参加しなかった議員らによる新国民民主党は衆参15人での船出となった。今回の新党結成に伴って、2009(平成21)年に政権交代を実現した民主党の継承政党だった旧国民民主党は解散し、かつての民主党の系譜は法的には消えたことになる。 【動画】合流新党「立憲民主党」が結党大会 「国民に選択肢を示すとき」
●対照的な結党大会
一度は政権を取った民主党にルーツを持つ両党の結党大会は、対照的なものだった。 新立憲民主党は、東京都内のホテルで大規模に開催。連合の神津里季生(こうづ・りきお)会長が臨席し、政権交代への意欲がにじむものだった。枝野幸男代表は「いよいよ、ついに、ようやく、こうして新しいスタートをすることができた。さまざまな経緯や困難を乗り越えて150人の国会議員が結集してくれた」「衆院では政権交代の発射台といわれる100人を超えるメンバーが集まった」と声を張り上げた。 一方、新国民民主党は、貸しスペースでの開催。党の公認キャラクター「国民うさぎ」も登場し、政策に関するトークイベントが企画されるなど手作り感あふれる内容だった。正式に代表に選出された玉木雄一郎代表は「何よりも決死の覚悟でここに集っていただいた」と衆参15人の参加議員に感謝し、「小粒でもピリッと辛い、頼れるプロフェッショナルな政策集団に」「古い野党の古い政治の形を変えて行こう。私たち自身が変わる挑戦でもあるし、時代を変える少数派の使命だと思っている」と呼びかけた。
●自民党との対立軸
「自民党に対する対抗軸をどういう理念で打ち立てていくのか。私自身の反省も含めて明確でなかったところがある」 新立憲民主党の枝野代表は結党大会後の記者会見で、政権交代可能な二大勢力を模索した平成以降の野党が抱えてきた課題を指摘した。そして続けた。「それが、特に25年ほど野党の非自民勢力にとっては、さまざまな困難を生み出してきた背景だと思う」。 1994(平成6)年に非自民連立政権が崩壊して以降、野党勢力は離合集散を繰り返した。1996年に民主党が誕生してからは求心力が強まって勢力を拡大し続け、2009年の政権交代につながったが、民主党の下野後は再び遠心力が働き、2017年の希望の党合流騒動後には、名称変更した民進党が旧国民民主党と旧立憲民主党、無所属議員に分裂する事態となった。今回の新党は、分裂した旧民主党系勢力が中心に合流してできた政党でもある。 枝野氏は、今回の合流新党では「明確に理念の異なる二大政党的状況がつくられている」と語り、これまで揺れてきた自民党との対立軸をはっきりさせることができたと自負する。それは新自由主義と対峙するビジョンだという。 25分間に及んだ結党大会のあいさつで、こう説明した。「今こそ、国民の皆さんに選択肢を示す時。過度に競争をあおる行き過ぎた自助と自己責任を求める新自由主義か、支え合いの社会なのか。国民一人ひとりを見ない政治か、現場の声とともに行動する政治なのか」。そして「過度な自己責任社会から支え合い社会に転換しよう」と呼びかけた。 記者会見では「自助」に関する民主党政権時代の政府文書の記載について真意を問われる場面もあった。自民党総裁選で菅義偉(よしひで)新総裁が打ち出した「自助・共助・公助」という理念が、SNS上を中心にリベラル系の識者らから批判を受けた。それを踏まえての質問だったが、枝野氏は「東日本大震災(2011年)からの復旧復興プロセス、それから最近のコロナ禍。7年8か月で、私自身もあえて言えば成長した。野党も社会状況の変化を踏まえて進化したと思っている」と考え方を改めたと説明。さらに「新自由主義的な思考は『昭和の残滓』であって、平成の30年をかけて『脱却するのか』『アクセルを踏むのか』政治全体が揺れ動いてきた中で結論的なところにたどり着いた」とも付け加えた。