“不惑の年”までには何者かにならないといけないという呪縛〈“私の40歳”を探して〉
輝いていなくとも、活躍していなくとも、堂々と生きたい
歳を重ねるうち、悩みや不安を周囲に打ち明けることが難しくなっているシングル女性は本当に多いのではないかと思う。かくいう私も、家族がいて大変な友人に、自分のことなんかで煩わせるのは申し訳ないし、いい歳して親に心配もかけたくない。そうやってついつい心の扉を閉めてしまうことがある。 だけど、この連載で思い切って自分の気持ちを吐き出してみたら、「私もつらい!」と打ち明けてくれる女性が周りに増えてきた。悩んだり焦ったりしているのは自分だけじゃないのだとホッとしたのと同時に、私がいまできる方法で、できることがあるのかも、ということが、ちょっとわかってきたような気もする。そうすると、「40歳までに」とか「社会貢献」といったことへのプレッシャーやこだわりが、少しずつ和らいできた。 「女性」で「シングル」で「フリーランス」や「非正規雇用」で「アラフォー」で。そんな私たちは懸命に生きている。「すごいこと」をしなくとも、「何者」かにならなくとも、バリキャリじゃなくても、仕事も育児も頑張る母親じゃなくても、輝いていなくとも、活躍していなくとも、この社会にちゃんと安心できる居場所があるべきだと、私は私のできる方法でこれからも伝えていきたい。 最近、同じようにシングルで働く同世代の友人たちと「おばあちゃんになったら、共同生活しよう」なんてことをよく話す。半分冗談、半分本気。抱える不安はみんな同じなのだ。それでも1人じゃなければ何とかやっていけるような気がする。こういう気持ちは本当に救いになる。 きっとこれからも増え続けるであろうシングル女性たちが、もっと気持ちを吐き出せる場があったらと思う。堂々とこの社会に生きる一因として、「私はこれでいいんだ」と思える日がちゃんと来ますように。
文:秦レンナ