“不惑の年”までには何者かにならないといけないという呪縛〈“私の40歳”を探して〉
「私って、なんて自分のことばかっりで生きているんだろう」
気づけば共に走ってきた仕事仲間はほとんど結婚して母になり、仕事と育児を必死に両立して頑張っている。中には子育てのためにキャリアを中断せざるを得なくなった女性もいて、そのつらさを聞くこともあった。私はといえば、結婚もしておらず、健康で、子どももいない。今までと何も変わりなく、常に自分の人生ばかり考えている。両親が私の年齢のときには、もう家だって買っていたというのに。 仕事でちょっとプライドを傷つけられたからって、なんだというのだ。こんなにも頑張っている女性がたくさんいるのに。溢れそうになる涙をグッと我慢した。 「私はバリキャリなんかじゃない」と甘えている場合ではないのかもしれない。働けるなら働かなきゃ。仕事で社会に貢献しなきゃ、じゃなきゃ面目が立たない。社会に存在を認めてもらえない。そんな思いが積み重なっていったからだと思う。30代も後半になってからは、「40歳になるまでに、名前を知られるような何か“すごいこと”をしなければ」というプレッシャーが付きまとうようになった。20代30代と、もう十分に経験は積んできたはず。ここである程度成果が出せなければ、社会に私の居場所はなくなる。そんな恐怖があった。 「telling,」の過去のインタビューで、社会学者の上野千鶴子先生が、「週に9日」働いていた30代を振り返ってこんなことを語っている。 ”でもね、子どもを育てた人に比べれば、圧倒的に楽ですよ。ある時、子どもを産んだ同僚の女性研究者からこんなふうに言われました。「上野さんは子どもさんがいないんですから、たくさん仕事をしてくださいね」って。あれはいじわるだったのかもしれませんけど(笑)。 「telling,」2023/09/20 社会学者・上野千鶴子さん「キャリアも結婚も子育ても、は欲張りじゃない」”
「彼女は私だ」。シングル女性の貧困問題
その後、上野千鶴子さんはまさに「バリキャリ」の鏡になったわけだが、私はふと考えてしまう。この時代、そうなれなかった子どものいない女性たちはどうしたのだろう。そして、その後はどうなるのだろうと。 シングル女性は貧困率が非常に高いのをご存知だろうか? 特に65歳以上になると、44・1%が「貧困状態」であるというデータもあり、そこには、女性が働けない、働いてもお金がもらえない、という男性中心社会の構造がどうしたって影響していると感じる。 しかし、貧困状態にある多くのシングル女性は、なかなか助けを求められないことが多いという。それはなぜか。そこには、まさに私と同じ想い「子どもがいないのに」とか「私は社会貢献していない」という申し訳なさや罪悪感があって、「だから、自分は助けてもらうことなどできない」と思い込んでいる場合も多いのだそうだ。 記憶している人も多いと思うが、コロナ禍、非正規雇用の女性たちの雇い止めや解雇が問題になった。職や住まいを失った60代の女性が、渋谷区のバス停のベンチで殺害されるという痛ましい事件も起きた。その後、追悼デモやSNS上では「彼女は私だ」の声が上がり、当時フリーランスになったばかりの私も、この事件を特別な想いで見つめていた。 なぜ誰も彼女に手を差し伸べなかったのだろう、なぜ彼女は誰にも頼れなかったのだろう。世の中では「女性活躍」「輝く女性」そんなキラキラした言葉がよく聞かれるようになり、女性の多様な生き方が尊重されるようにだってなってきているようだ。でも、その裏側には、取りこぼされている女性たちがまだまだ山ほどいるんじゃないだろうか……。