指示を出さない「イタリア人の上司」の指導には、コーチング理論に裏打ちされた「綿密な計算」があった
私がミケレとの1on1で体験していたのは、コーチングのテクニックの数々だったのです。リーダーになって1年後、ミケレからの何気ない問いかけの背景には緻密な計算があったことを知りました。 もっとも、ミケレのやり方は表面的なテクニックではなく、熟練したものだったのです。ミケレの1on1は、コーチングの理論をベースにしていたことを知り、そのエッセンスを取り入れることで、さらにうまくいくようになりました。
それ以来、私はコーチング理論を学び、実践するようになりました。そして部下たちの気づきを促すためにどのように質問すればいいかをとくに強く意識しました。 部下たちが気づいた瞬間、顔がぱっと明るくなるのを見ると、「そうか、こうすればいいんだ」と思いました。私のコーチングにより部下たちが気づけば、思考が開け、行動が変わります。そして行動が変われば成果も変わります。成果が生まれれば、組織の勢いが増していき、部下たちがその潜在能力を発揮してくれるようになりました。
■直面した専門知識や経験の「圧倒的な不足」 ミケレとの出会いから数年後の38歳のとき、転職を考え始めました。そこで私が転職先として選んだのは、日本の大手製造企業であるミスミでした。 同じ転職するなら同業種の外資系IT業界ではなく異業種である日本の製造業界に挑戦し、自分の実力がどこまで通じるかを試したいと考えたのです。私にとっては、まるでサッカーから野球の世界に転向するような大胆な決断でした。 製造業界において、経験も知識もない状態で新たにGMとして迎えられた私には、即戦力として結果を出す重圧がのしかかっていました。毎月の経営会議に参加しながら、私はある新規事業プロジェクトを推進していく必要がありました。
新卒でSAPに入社して以来、IT業界でキャリアを歩んできた私には、ミスミで部下や他部門をリードするうえで専門的な知識や経験が圧倒的に足りないことを入社してまもなく痛感しました。 たとえば、新聞などのメディアに出てくるレベルの製造業の用語ならまだしも、実務の最先端の用語が飛び交うと、社内オフィスや製造現場で社員が何を話しているのかよくわからない状態だったのです。 私が推進する部門横断型(クロスファンクション)のプロジェクトチームの会議では、最初の数週間は議論がうまくかみ合わず、残業が続く毎日でした。参加メンバーはそれぞれ能力にばらつきがあり、会議では発言が偏り、特定のメンバーが主導し、ほかのメンバーは受け身になってしまうという状況に陥りました。