「次やられたらやり返す」 阪神の助っ人の“殺人タックル”で乱闘騒ぎ…日本球界にコリジョンルールをもたらした男の「危険な本塁突入」
タックルがきっかけで起きた大乱闘
ヤクルト正捕手の相川亮二も、4月6日のDeNA戦でブランコにタックルされ、左鎖骨関節亜脱臼で戦線離脱。加えて代役の田中まで負傷させられたのだから、踏んだり蹴ったりだった。全治2ヵ月の診断ながら、チームの苦しい捕手事情から約10日早い5月25日に復帰した相川は、田中に「次やったら、オレがやり返してやるから」と約束したという。 その言葉が現実のものとなったのは、それから約4ヵ月後、9月14日の同一カードだった。 0対0の6回2死二塁、マートンは福留孝介の中前安打で二塁から本塁を突いたが、前進守備の上田剛史がノーバウンドのストライク返球。タイミングは完全にアウトだったが、「何とかセーフになろうと一生懸命だった」と両腕から相川にタックルして吹っ飛ばした。 だが、相川もボールを離さず、判定はアウト。「マートンが二塁にいるときから、タックルに来たら『行くぞ』と決めていた」という相川は、起き上がるやいなやマートンを突き飛ばし、もみ合いになった。マートンは突進してくる相川をガードしながら両手を挙げて後方に下がり、両軍ナインによる乱闘劇に発展。2人は揃って暴力行為で退場になった。 笠原昌春責任審判は「マートンのタックルは(流れの中のプレーなので)退場の対象ではありません。その後、相川選手が突き飛ばした行為に応戦したことで退場としました。殴り合いをしていましたので」と説明したが、マートンは「自分から仕掛けたわけじゃないし、後ろに下がったんだけど……」と納得できない様子。一方、相川は冷静に戻ると、「(けがは)大丈夫です。普通のプレーでエキサイトしてしまっただけです。すみません」と反省の言葉を口にした。
マートンの残した日本球界への“置き土産”
試合後、小川監督は「相川が体を張って本塁を守ってくれた」と称賛しながらも、「2度もやられるとたまったものじゃない。格闘技じゃないのだから」とうんざりした様子だったが、因果は巡る。2015年5月13日の同一カードでも、三たびタックル騒動が勃発する。 0対0の2回1死三塁、伊藤隼太の右飛で本塁を狙ったマートンは、雄平の好返球でタイミングは悠々アウトだったにもかかわらず、捕手・西田明央に体ごと激しくぶつかっていった。西田は仰向けに吹っ飛ばされながらもボールを離さず、判定はアウト。落球狙いのラフプレーをヤクルトナインが非難すると、マートンも興奮して何事か叫び返し、乱闘寸前の騒ぎとなった。 西田にケガはなかったが、ヤクルト・真中満監督は「本塁ベースを西田が空けている状態で、タックルはない。過去にウチの選手が何人も全治2ヵ月とかのケガをしている。審判は思い切って反則を取らないと、ああいうプレーが続く」と怒りをあらわにした。 MLBでは同年からコリジョンルールが導入されていたことから、真中監督は7月の12球団監督会議で正式に問題提起。選手会も故障防止の目的で「本塁上での危険な激突行為を禁止する」ルール導入に賛成し、翌2016年からの導入が決まった。マートン自身も選手会の決定直後の7月17日、「その考えには賛成したいと思う。自分としてはそう(本塁上でのタックル)したいわけじゃない。ルールで決めてもらえれば、従ってプレーしたい」とコメントしている。 皮肉にも同年限りで阪神を戦力外となり、日本を去ることになったマートンだが、“マートンルール”とも呼ばれる新ルールを置き土産に、日本球界に名を残すことになった。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。 デイリー新潮編集部
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