タイトルホルダー高木隆弘が語る「昭和の特訓、戦友の引退、一流選手の定義」いまは競輪人生の“新章”で夢抱く「神奈川からスターを輩出したい」
◆netkeirin連載「ノンフィクション」名伯楽・高木隆弘独占インタビュー後編/ダービー開催記念特別版 ガールズグランプリ2021を制した高木真備氏の師匠であり、北井佑季を見事にトップ選手へと鍛え上げた名伯楽・高木隆弘。前編ではGIタイトル獲得に必要なことや弟子について話をしてもらったが、後編となる今回は“高木隆弘自身”の人物像にフォーカスした内容になっている。出てくる“思い出エピソード”も“将来に向けての話”も濃厚。ぜひ最後までご覧ください。
“昭和の時代”と“令和の時代”について
ーーここまで高木さんの“師弟観”を聞いていて、高木さんの師匠・小門道夫さんの話も聞いてみたくなります。師匠は厳しかったですか? 高木隆弘 厳しかったです。師匠だけじゃなくて兄弟子も厳しかったですよ。その流れで言えば僕なんて全然厳しくないですよ。いや、ホントに(笑)。 ーー何か印象的なエピソードはありますか? 高木 僕は自転車未経験の適性出身なんですが、一番最初に師匠に投げかけられた問いがあります。『適性組が技能組に追いつくためには何したらいいんだ?』って。その時に「人よりも段違いで自転車に乗る時間を確保すること」って話をしたんです。練習の“量”が必要になると思って。師匠も『そうだよ、慣れが違うもんな。量が必要になるよな?』と賛同してくれて、すごいメニューを組んでくれた。 ーー怖いです(笑)。 高木 とんでもないメニューでしたね。まず寝る時間が用意されていないスケジュールでしたから。当時はめちゃくちゃ自転車に乗りました。ハードな乗り込みを毎日続けて、とにかく量をこなすことに尽力しました。 ーー怖いもの見たさですが、具体的に“地獄の練習”はどのようなものがありましたか? 高木 朝の3時に自宅を出て、箱根の山の上まで行って帰ってくる朝練習がありました。練習そのものもキツいんですけど、それが一日の最初のメニューというのがツラい。帰ってきて通常練習がスタートする感じで。 ーー話の次元がヤバいです。 高木 いつだったか、朝3時に出発してたらやるべき練習が終わらないことがあったので、夜12時出発に切り替えたわけです。もう朝練でもなんでもない(笑)。それで夜間に一生懸命箱根の山を登って帰ってきました。それで仮眠をとっていたら激怒した師匠にたたき起こされました。「バカ野郎!お前、夜練習する体力余ってたんなら、もう1本今から行ってこい!」って(笑)。これは堪えましたね。 ーー壮絶な厳しさですね。 高木 でも当時ってこの手の厳しさは本当に多かったです。今風に言えば“昭和の時代”ですよね(笑)。僕は今の時代の選手たちに今の時代に適した指導を行っています。でも自分が鍛えてもらってた時代と大きく違いがありますね。 ーー“昭和の時代”の厳しさを身を持って知っている高木さんから見て、今やったらパワハラになるみたいなことはありましたか? 高木 そうですね。逆にパワハラにならないことを見つけるのが難しいくらいかな。“昭和”の中でも、さらにうちの道場は特殊でしたから。ここでは話せないことばかり(笑)。でもその時代のやり方があるし、僕はそのやり方で「小さな考えでいたらGIなんて獲れねえよな」と当時の厳しさに学んだことも多いです。上位のレースで戦うとき、ちゃんと強さに変えられた部分もありますね。 ーー競輪に限った話ではなく、今の令和時代はそれこそパワハラなどは考えられない時代になりました。その点で高木さんが感じる“弱体化したこと”などはありますか? 高木 いいえ、かな。今のところ当時の厳しいアレをやらなくなったから選手たちが弱くなったとかは感じたことありません。その時代のやり方の中で、その時代の選手たちが自分で自分を鍛えている。しっかりと進化できているように思います。だから僕の20代の頃のやり方も否定的に見ていないし、今の時代のやり方も否定的に見ていません。