石破茂氏に捨て駒としての価値を見た自民の冷徹 沈没の危機に瀕した党が繰り出す奥の手が炸裂した
9月27日、自民党総裁選で岸田文雄首相の後継に石破茂元幹事長が選出された。今回は史上最多の9候補の争いとなり、1回目投票で2位の石破氏が、決選投票での逆転勝利で、1位だった高市早苗経済安保担当相を破った。 【写真を見る】田中角栄元首相の引きで政治の世界に入った石破茂氏 石破氏対高市氏の決戦となった「ポスト岸田」の総裁選は、実は戦後保守政治の2つの潮流の選択という一面もあった。それは「田中角栄流政治」と「岸信介流政治」である。 ■高市氏は「岸政治の継承者」 石破氏は「角栄流の再現者」、高市氏は「岸政治の継承者」という隠れた顔を併せ持っている。もしかすると、総裁選の勝敗の決め手となったのは、保守政治の在り方をめぐる自民党内の伝統的な路線対立だった可能性もある。
高市氏については、3年前の2021年9月30日、岸田総裁誕生となった総裁選の翌日に安倍晋三元首相をインタビューしたときの「高市評」が印象深い。 安倍氏は祖父の岸元首相を、「日米安全保障条約の改定実現」「改憲提唱」などで現在の自民党政治の骨格を築いた、と強く意識し、もし岸氏が今の自民党の状況を見れば、「自民党の本来の役割と目指す方向をしっかりともう一度、見つめ直せ、と思うのでは」と唱えた。 そのうえで、「私はそのために総裁選では高市氏を擁したのですが」と語った。安倍氏は高市氏を「岸政治の継承者」と見立てて全面支援していたのである(『文藝春秋』2022年1月号掲載の塩田潮執筆「100年の100人 岸信介(証言・安倍晋三)」より)。
他方、石破氏は、10年前の2014年9月24日にインタビューで聞いた回顧談が今も鮮明に記憶に残っている。 石破氏は政治家になる前、銀行員だった1981年に元鳥取県知事の父・石破二朗氏と死別した。他界の直前、鳥取の病床で「死ぬ前に角さんに会いたい」と漏らした父親の願いを、直接、田中元首相に電話で伝えた。 田中氏は鳥取に出向く。「田中派葬」で葬儀委員長も引き受けた。さらに石破氏に「すぐに銀行を辞めて選挙に出ろ」と命じた。石破氏は田中氏を「魔神」と呼び、自ら「政治の師」と評する。「田中さんの根幹にあったのは親切心」と説明した。石破氏は「魔神」の魔力に引き寄せられるように政治の道に進んだ(『週刊東洋経済』2014年11月8日号掲載の塩田潮執筆「ひと烈風録・第1回 石破茂」)。