モンレリ・サーキット「Autodrome de Linas-Montlhéry」の100周年を祝う
パリ近郊にあるモンレリ・サーキットで、今年最後の大イベントが開催された。これは、モンレリ・サーキット「Autodrome de Linas-Montlhéry」の100周年を祝う記念行事であり、サーキットを運営するUTACと、ル・マン・クラシックなどを手掛けるピーター・オートが共同で企画したものだ。 【画像】モンレリ・サーキット100周年記念イベントに集った往年の車たち(写真62点) モンレリ・サーキットは1924年に、自動車やオートバイのテストコースとして、自動車愛好家でエンジニアのアレクサンドル・ラビオによって建設された。当初は全長約2.5kmのオーバルコースで、翌1925年には500マイルレースが開催され、サーキットの名声が急速に高まった。さらに、多くの世界記録がここで打ち立てられ、モンレリは自動車黎明期における重要なサーキットとなった。 1933年、シトロエンは革新的な車「ロザリー」で耐久記録に挑戦。192時間(8日間)にわたり複数のドライバーが無休で走行し、平均速度93.46km/hで25,000kmを走破した。この偉業はシトロエンの技術力と信頼性を象徴するものとなった。 サーキットは、ル・マンのように公道を組み合わせた全長12.5kmのコースレイアウトも導入され、耐久レースが行われた。第二次世界大戦中はドイツ軍に占領され、その後アメリカ軍の物資保管庫として使用されたため、サーキットは荒廃してしまった。1945年に設立されたUTAC(Union Technique de l’Automobile, du motocycle et du Cycle)が戦後のフランス車開発の場としてモンレリ・サーキットを復活させた。 1950年代には、フランスグランプリやバイクのボル・ドール、スポーツカーが参戦したトゥール・ド・フランス・オートモービル、12時間耐久レースなどが開催され、戦前同様に賑わいを見せた。シトロエンDSの耐久テストも行われ、モンレリ・サーキットは再び盛り上がりを見せたが、1960年代に入るとコース、とりわけオーバルコースの老朽化が進み、サーキットとしての役割は徐々に縮小していった。ただし、UTACの名前通り、自動車やオートバイ、軍用車両のテストは続けられた。 1980年代には、パリ近郊という立地を活かしてクラシックカーイベントの舞台として利用されることが増えた。しかし、運営は厳しく、一時はサーキットの解散が噂されるほどであった。それでも近年、クラシックカーやヴィンテージカーの人気が高まり、イベント数も増加。モンレリ・サーキットの価値が再認識され、100周年に向けた改修工事も行われた。そして、こうして華やかな100周年記念イベントが開催された。 このイベントでは、戦前の車両から始まり、1950~60年代、1970年代、そしてモンレリに縁のあるレジェンドカー、ヤングタイマー、スーパーカーへと続く多彩なカテゴリーが用意された。バイクも2つのカテゴリーに分かれ、1950~70年までのバイクと、1970~90年代のバイクが100年の歴史を誇るサーキットを疾走した。 パドックでは、レジェンドカーに加え、現在フランスが推進する電動カーも展示され、モンレリ・サーキットの100年の歴史と未来を体感できるイベントとなった。 写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI
櫻井 朋成