37歳「学歴コンプレックス」に苛まれる、専業主婦の絶望…偏差値65から転落、早稲田、GMARCHも全滅しFラン大へ
「この環境に染まっちゃいけない」
「本当にこの高校に合格したの? って思うほど、授業中の生徒の私語も寝ている人も多かったんです。 学校の進路実績を見ると、早慶上智どころか、明治、立教などGMARCHの進学者も少なくて…。中堅かそれ以下の進学が大半だったんです。ポテンシャルのある偏差値の高い生徒を集めて、入学後の勉強は自主性に任せる学校だったってことが後から分かって後悔しました。 このまま周りに合わせてたら、とてもじゃないけど偏差値の高い大学には合格できない、環境に染まっちゃいけないって大手の進学塾に通うことにしたんです」 入塾試験では英語の成績がとくによく、「早慶上智も狙えるかも」という講師の激励もあり、“有名大学の絶対合格”を掲げてさらに勉強への意欲を燃やした。 交友関係も「いい大学に入って、嫁ぎ先を探して欲しい」という両親の言葉通りに、同じ高校の男子はレベルが低いと、塾のトップ校に通う男子とのみ交流を図りそのうちの一人と交際に発展。時には「一緒の大学に行こうね」と夢を語り合いながら、勉強に打ち込んだ。 だがその一方で成績は伸び悩んだ。英語の成績だけはキープしていたものの、その他の教科では平均点そこそこ。模試の成績は良くなく、下のクラスに落ちて次第と頭の良い男子との交流も薄れ交際相手との縁も切れてしまった。 高校3年には教科全体で偏差値50を切ることも多く、客観的に見ればGMARCHの合格は危うい成績にまで落ち込んでしまった。 「高校の担任も塾の面談でも、偏差値40台の大学を滑り止めとして受けることを勧められましたが、いくつもりがない大学だったので聞き流しました。母は驚いていましたが、私は絶対に大丈夫だと思っていたので説得して志望校を変えずに受験しました」 早稲田大学を本命に、GMARCHは滑り止めとして受験したものの結果は惨敗。センター試験も受けたが4割くらいの正答率だったそうだ。 「周囲には”頭いい子”のイメージで通していたので全落ちして本当に恥ずかしかった。浪人は経済的にも精神的にも厳しく、専門学校への進学や高卒で就職は選択肢もない。なんとしてでも大学生になりたかったので、定員割れしている大学を受験しました。Fラン大学です」 望んでいない大学への進学、同級生に進路を聞かれることが怖かったサツキさんは卒業式に出なかった。ここからサツキさんの学歴コンプレックスは加速していく。 その詳細は、引き続き<慶応卒のエリートの子を「計画妊娠」した、37歳の専業主婦が「ハイスぺ婚」に絶望したワケ…こんなハズじゃなかった>で明かす。
吉田 みく(ライター)