任天堂のマリナーズ売却で日本人選手が消える?!
1991年12月6日、オーナーのジェフ・スムライアンは、マリナーズを売りに出した。元々1989 年にマリナーズを買収したときから、出身のインディアナポリス、ワシントンD.C.、タンパへの移転を目指したが、うまくいかなかった。セールにかけたとき、まだキングドーム(当時の本拠地)とのリース契約が残っていたため、120日間は地元企業、地元の実業家グループと優先的に交渉することが定められた。 ところが、地元の優良企業だったマイクロソフトやボーイングは興味を示さず、シアトルにチームを存続させようと動いていたグループは、あっさりと窮地に立たされる。そんな時、スレイド・ゴードン上院議員が日本企業にも声をかける。米国任天堂はその一つで、当初は断られたものの、当時米国任天堂社長の荒川實が、義父で、当時任天堂社長だった山内溥に電話をかけたことで、事態が劇的に動く。 アート・シール著「アウト・オブ・レフトフィールド」によれば、山内は電話の向こうでこう告げたという。 「他の会社はもう、あたらなくていい。私がお金を出す」 それを伝え聞いた当時米国任天堂副社長で、その後、マリナーズの CEO(最高執行責任者)を務めることになるハワード・リンカーンは、こう言ったそうだ。 「ちょっと待て。気でもくるったか?」 リンカーンは、大リーグのオーナーになることの意味を山内が理解していないと考えたが、山内の気持ちは変わらなかった。 1991年12月23日、荒川は正式に買収する旨を、山内のこんな言葉とともにゴードン上院議員に伝えた。 「シアトルも、ワシントン州も我々によくしてくれた。我々は、このコミュニティに恩がある。もしチームを買収するのに1億ドル(約110億円)が必要ならば、それを出そう」 それは任天堂ではなく、あくまでも山内自身が、「良かったら使ってくれ」と寄付のような形で出したものだったが、かくしてこの時、マリナーズのシアトル存続が決まったのだった。 さて、それから20年以上の月日が流れた2016年4月27日、任天堂は、米国任天堂がマリナーズの所有権の大半を売却すると発表した。 山内は当初から、「地元企業、あるいは地元の実業家グループらが名乗りを上げれば、お返しするのが筋」と考えていたそう。27日、買収の経緯から、今に至るまで任天堂とマリナーズの関係を知るリンカーンは、そう振り返った。そのリンカーンも今回の筆頭オーナー移行に伴って、マリナーズのCEO(最高執行責任者)の座を退任する。任天堂は引き続き10%のマイノリティオーナーであり続けるが、55%の比率が10%まで下がる意味は、自ずと知れよう。