任天堂のマリナーズ売却で日本人選手が消える?!
代わって筆頭オーナーとなるジョン・スタントンは、シアトル出身。かつて、シアトルにおいて携帯電話事業の創成期に携わり、現在はマイクロソフト、コストコといった地元企業の取締役を務めるなど、地元との関わりが強い。また、もともとマリナーズのマイノリティオーナーでもあったことから、チーム方針、経営を理解している。マリナーズはおそらく、何事もなかったように今度も存続していく。 そもそも任天堂は、方針や、経営面などに特に口を出すことはなかったので変わりようがないが、日本野球界との関係は多少なりとも変わるのかもしれない。 山内は、物を言わないオーナーとして知られていたが、実は、それなりに口を出した。先ほど引用した「アウト・オブ・レフトフィールド」によると、1995年に野茂英雄がドジャースへ移籍した時、山内は、リンカーン、そして社長を務めていたチャック・アームストロングを責めたという。 なぜ、獲れなかったのだ? 1997年秋、山内は、マリナーズに平安高校の川口知哉と契約するよう迫る。わざわざ来日したアームストロングは、川口とも面会。100万ドル(約1億1000万円)の契約ボーナスを出すとも伝えた。しかしながら、マリナーズのスカウトらは、川口が大リーグで成功するかどうか疑う。アームストロングが山内にそれを伝えると、こう言われたそうだ。 「お前たちが育てればいい」 最終的には、川口側が躊躇してこの話はなくなり、いい口実になったわけだが、それだけでは山内を納得させられない。そこで、こう山内にお伺いを立てた。この時の会話が、「アウト・オブ・レフトフィールド」で再現されている。 「オリックスのイチローという選手をご存知ですか?」 「当たり前だ」 「彼を獲ったらどうでしょう?」 「獲れるのか? いや、なんとかしろ」 2000年、11月マリナーズはポスティングでイチローを落札する。アームストロングらは、胸をなでおろした。 ただ聞けば、そうして日本人選手の獲得に山内がこだわったのは、イチローら日本人選手が、アメリカで活躍する場を作ってあげたい、という思いがあったという。山内がオーナーになった当時、大リーグに日本人選手はいなかった。1995年に野茂がその扉を開いたが、それをさらに広げたい、そして日米の架け橋になりたい、という思いを持ち続けた。過去、マリナーズに多くの日本人選手が所属し、現在も所属していることは偶然ではない。2000年以降、チームから日本人選手が消えたことはない。 果たして、その流れが途絶えるのか。現在、マリナーズに所属している岩隈久志、青木宣親はいずれも1年契約だ。おそらくこれまで、同じ実力の選手が二人いたら、日本人選手が優先されるような状況がなかったわけではない。だがおそらくもう、任天堂がそういう影響力を行使することはないのではないか。 結局、任天堂は、チームを存続させることに加え、日本人選手に挑戦する機会を与える、という役割を終えたと言えるのかもしれない。地元グループに売却し、移転の心配はない。また、大リーグの各球団はもう、日本にスカウト網を持ち、力さえあれば、いくらでも移籍が可能となった。 大仕事を終えた任天堂は、静かに表舞台から消えようとしている。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)