桶川ストーカー殺人事件25年「もういいよ、という詩織の声が聞こえてこない」 がん患った父が続けた講演120回、娘が愛した「ひまわり」に込めた願いは―
また捜査に問題があったとして憲一さんと妻京子(きょうこ)さん(74)が起こした民事訴訟では、県警に名誉毀損に関する捜査怠慢があったと認定し、県に550万円の賠償を命じた判決が確定している。 ▽小松受刑者「心からめいふく祈る」 共同通信は今年9月、複数回にわたって千葉刑務所にいる小松受刑者と手紙をやりとりした。 小松受刑者は「ココ(刑務所)から生きて出(ら)れると思っておりません」などと現在の心境をつづった。遺族に対しては「直接お会いしてからでなければお話はできません。ごめいふくを心からお祈り申し上げます」と記した。 一方、猪野さんの調書改ざんに関わり有罪となった元上尾署員3人のうち2人は、いずれも取材に「思い出したくない」と口を閉ざした。 ▽今も納骨できぬまま 今年11月、憲一さんは埼玉県上尾市の自宅で、取材に応じてくれた。話を聞いた私は記者1年目で、桶川事件が起きた後に生まれた世代だ。
居間の棚には、詩織さんの七五三や成人式の写真がたくさん並び、周りをひまわりの花の飾りが彩っている。25年がたった今も、納骨はできていない。「一緒の空気を吸って、妻か私、先に亡くなった方と一緒に入ろうと思って」。憲一さんは静かな口調で語ってくれた。 事件から半年後、絶望の中で暮らしていた憲一さんは、弁護士に勧められて講演活動を始めた。あの時、何度も救いを求めた警察は「そんなの痴話げんかでしょ」と取り合ってくれなかった―。講演では当初、そうした怒りや悔しさを聴衆にぶつけるように語っていたという。 それが変わったきっかけは、不思議な体験をしたことだった。2005年から立て続けにがんを2回患い、体重が一時17キロ減るほど心身ともに衰弱していた頃のこと。 「詩織の元に行きたい」。そんな弱気な思いに駆られた時、「まだ駄目」と詩織さんに止められたように感じたという。 この体験を機に、憲一さんは「娘の犠牲を無駄にしないため、何を伝えるべきか」を考えるようになった。特に訴え続けているのは「一人で抱え込まないこと」の重要性だ。