ブライアン・イーノの名言「アーティストであることの意味は、…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。「アンビエント・ミュージック」を提唱した創始者、ブライアン・イーノが残した言葉とは。 【フォトギャラリーを見る】 アーティストであることの意味は、物事の挑戦にあると思う 「アンビエント・ミュージック」を提唱した創始者といえば、ブライアン・イーノ。今年1月のサンダンス映画祭では、イーノの約50年にわたる音楽活動のアーカイブを使ったドキュメンタリー映画『Eno』が公開されて話題を呼んだ。この映画は観るたびに内容が変わる構造の映画で、イーノ自身のジェネレイティブ思想を基軸に制作された。 アンビエント・ミュージックの構想は、イーノが交通事故で入院していたときの体験から生まれたという。友人が差し入れてくれたレコードをかけたら設定を間違えたのか、ほどんと聴き取れない極小の音量で再生されてしまった。しかし身体を動かせずにそのまま聴き続けていたら、かすかに聴こえてくる音色が、まるで自分自身がいる病室の景色に溶け込んでいく感覚に陥ったことが転機となり「色と雨の音がその雰囲気の一部であるのと同じように、環境の一部として、私に音楽の新しい聞き方を示した」と振り返っている。 そして1978年、ニューヨークのラガーディア空港のために作曲した「空港のための音楽」を発表する。空港の機能や目的を考慮して、人々が再会したり別れを惜しむ会話をじゃましない周波数を探ったり、空港のさまざまなノイズにも共存できる旋律を考えたり、「死」の可能性にも備えられるような音楽を念頭に作曲した作品で、これがアンビエント・ミュージックの概念を世界に広める一曲になった。 ロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催された「ソニック・ユース」展(2000)では「市民回復センター」というサウンドアートの展示も行っている。これらの作品には一方的なBGMや効果音で公共空間を満たしがちな都市への抵抗と同時に、実現できるかもしれないオルタナティヴな空間を音楽によって出現させようとする挑戦が垣間見える。 もちろんイーノのいずれの作品も装置としての音楽であり、その点ではスーパーなどで流れるBGMと同じ「環境音楽」とも言えるのかもしれない。 しかしイーノは目的やメッセージを設定して結果をデザインするために音楽を使うのではなく、形式にとらわれない発想と作曲で、音楽の可能性をアクチュアルに問い続けて実験を繰り返している。 その一方、デヴィッド・ボウイをはじめ、トーキング・ヘッズ、U2、コールドプレイらを手がけてきた音楽プロデューサーとしても名高いが、おそらく最も多くの人が聴いたイーノの作品といえば、マイクロソフト社の「Windows95」の起動音だろう。また音楽を自動生成させる「ジェネレーティブ・ミュージック」の構想には約40年前から取り組んできた。 ミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、活動家、思想家、ビジュアルアーティスト....と多岐にわたる活動を続けてきたブライアン・イーノ。はたして本人にとって「アーティスト」とはどのような存在なのだろうか。 2022年に京都で開催されたイーノの個展『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』では「ありきたりな日常を手放し、別の世界に身を委ねることで、自分の想像力を自由に発揮することができるのです」というイーノ自身の言葉も展示されており、音楽家やアーティストである前に、自分自身でいることをあきらめない確かな軸足を感じさせた。