洋服のデトックスで感じた清々しさと罪の意識。果たして捨てることなく家は片付けられるのか
一分の隙もないクローゼットにうんざりして
8月の半ばを過ぎたあたり、急に洋服の量が気になり始めた。 昔からおしゃれが大好きで、学生時代は洋服を買うためにアルバイトをしていた。社会人になってからは、アパレルの広告制作事務所を経て雑誌『FRaU』ファッション班のスタッフエディターとして、大好きな洋服に関わりながら生活していた。 【写真】”古着の寄付”のはずが…カンボジアの人たちを悩ます”古着の寄付”のゴミの 結婚して、家事と育児をして過ごす今、躍起になってトレンドを追いかけることはないけれど、洋服が好きなことに変わりはない。 さらに、5年前からおしゃれの選択肢に「着物」が加わってしまった。 それはつまり、帯や長襦袢、肌襦袢、帯締め、帯揚げ、足袋、草履などがクローゼットに仲間入りしたということでもある(桐箪笥が二棹増えました)。 洋服や靴、バッグ、そして新たに着物が加わった我がクローゼットを見直すと、物で溢れかえっている。 衣装ケースは衣類がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、取り出しにくく、使い勝手が悪い。 そういえば最近、手前の洋服ばかり着ていたことに気がついた。 それって、つまり、おしゃれを楽しんでいないのでは……。 よし、洋服を整理しよう。 そうと決めて早速、片付けを始めることに。 山下ひでこさんが言うところの“断捨離”というやつだ。
デトックスした家はすっきり。しかし心は複雑
着古した洋服だけでなく、何年も使っていなかったミニスカートやハイヒール、未使用のままだったストッキングやタイツも処分した。 そして存在を忘れていたセーターやシャツ、スカートや帽子、靴にバッグも。 さらに白や黒など似たようなTシャツも数枚を残して手放した。 片付けスイッチがオンになっている今がチャンスと、本棚や押入れ、キッチンなど家中を見まわすことに。 押入れからは以前、凝っていたハンドメイドの産物、生地やボタン類がたくさん出てきた。さらに、新婚時代にそろえた来客用布団が、結婚20周年を迎えても尚、未使用のままだった。 すべて手放そう。 最後はキッチン。増え続ける割り箸や保冷剤、レジ袋の山に愕然。賞味期限切れのお茶や乾物も出てきた。 さて、その手放し方だが、絵本は近所の保育園で引き取ってもらうことができた。その他の本は買い取ってもらい、まだ着られる洋服はフリマアプリに出品した。 企業も取り組んでいるリサイクルボックスを利用するなど、なるべくリサイクルやリユースの手段を取った。 しかし、最終的には何十枚ものゴミ袋や粗大ゴミとして処分せざるを得なかった。 中でも洋服は、家電や布団などのように、処分するための手続きもなかったこともあって、早い段階で廃棄処分を選んだように思う。 こうして何日かにわたる作業のおかげで、家はだいぶ片付いた。 しかし、晴れ晴れとした気持ちと共に、ひりひりとした痛みも残った。 着古した洋服は、すんなりと処分を選ぶことができた。 しかし、数回しか着ていない洋服や、未開封で処分したタイツやTシャツなどをゴミ袋につめた時はかなり胸が痛んだ。 お金も、限りある資源も無駄にしたという罪の意識が否めなかったのだ。 今回の“断捨離”は、家を片付けられたという、達成感や清々しい気持ちだけでなく、メンタルのダメージが想像以上に大きかった。 心身ともに疲弊した身体をソファにあずけながら、いつかやってくるであろう「実家じまい」のことが頭をよぎった。 実家じまいとなると、ひと家族分の歴史を処分することになる。 もちろん、ある程度は思い出として遺せるだろうが、ほとんどは手放すことになるはずだ。 親を見送る寂しさを抱きながら、所有物に宿る思い出とどう向き合えばいいのだろう。 自分の不用品を処分しただけでこのありさまなのに……。 なるべくなら必要としている人へ譲るなどして、環境に負担をかけずに手放したい。 果たしてその手段はあるのだろうか。