元阪神右腕が痛感した“壁”「自信を失った」 受験突破も…諦めかけた投手の道「厳しいかな」
川尻哲郎氏が振り返る野球人生…小6で「オール東京」に選出
阪神低迷期に投手陣を支えたサイドスロー右腕が、川尻哲郎氏だ。好投しても打線の援護に恵まれないケースも多かった中で、1998年にノーヒットノーランを達成するなど阪神ファンを大いに沸かせた。現在は東京・新橋でスポーツバー「TIGER STADIUM」を経営しながら、野球に携わる日々だが、その野球人生にもいろんなことが詰まっている。少年時代には「オール東京」のメンバーとして「ニューヨーク」と対決したという。 【動画】「誰が打てるんだ」打者腰砕け…阪神23歳の高速魔球に驚愕 川尻氏は東京都中野区出身。「お父さんが草野球の監督をしていたんで、付いていっているうちに自分もやりたくなったんでしょうね。チームには甲子園に出た人もいて、大人とキャッチボールとかトスバッティングとかしたのが野球をやりはじめたきっかけですね」。1969年1月5日生まれ。「それが小学校2年生とか、3年生くらいですかね、草野球チームの人にはかわいがってもらいました」。自然と野球に熱中する環境だったようだ。 「小学校4年とか高学年になってから、家の近くの少年軟式野球チームの相生ホークスに入りました」。当時から目立つ存在だったらしく「小学校6年(1980年)の時にオール中野に選ばれました。中野からは1人だけだったと思うけどオール東京にも入りました。ピッチャーでした。もちろん上から投げてね。ピッチャーじゃないときはショートを守っていたかな」。東京とニューヨークが姉妹都市ということで開催された日米親善少年野球大会に出場した。 川尻氏といえば1998年の日米野球で8回1/3を無失点の快投を演じたことでも知られるが、小学生の頃から“国際大会”を経験していたわけだ。「だいぶ前の話なので、結果とかもあまり覚えていないけど、あの頃は打つ方もまぁ、悪くなかったですしね。向こうはオールニューヨークだったかな。オール中野としても1試合やって、オール東京では5、6試合やったんじゃないですかねぇ。中野区の上高田球場でも試合をしたと思う」。