ロッテ里崎、涙の会見「夢を超えた16年」
千葉ロッテの里崎智也(38)は12日、背番号「22」をつけたユニホーム姿でQVC千葉マリンの記者席にセッティングされた会見場に現れた。始めに引退の言葉とメディアへの感謝の気持ちを伝えた里崎は、今の心境を聞かれ、「ここ数年、しんどかったし、もう正直、頑張らないでいいと思うとほっとしている……」とまで話すると目頭を押さえ、タオルをとって涙を拭った。しばらく、あふれる涙が止まらず、言葉が続かない。 号泣だった。 「正直、あとの半分は寂しい」 16年目のシーズンを迎えようとしたベテランが昨秋のキャンプに志願参加した。「来年勝負!」の思いを胸に若手に混じって激しい練習メニューにチャレンジしたが、肉体が悲鳴を上げた。開幕はスタメン出場したが、5月に左膝を手術。オールスター前復帰を目標にリハビリを続けたが、8月に入っても回復は見られず、「そろそろ潮時か」と考えたという。「プロとして練習量を落とさねばならないならプロのパフォーマンスを出せない。人それぞれ考えは違うだろうが、グダグダと中途半端に野球人生は続けたくなかった」。 38歳のキャッチャーは誰にも相談せずに引退を決めた。「自分勝手に我が侭にやってきた。大学進学も、プロに入るときも自分で勝手に決めた。最後まで僕らしいと言えば僕らしい」。徳島の母親に事後報告をすると「最後くらい相談してくれとも良かったんとちゃう?」との返答。「ここまで一人で決めてきたけど間違ってなかったやん?」と返すと「よう、そこまで自信を持っていえるな。あんたらしいわ」と笑われた。田村龍弘ら若手捕手が育ち「そういう環境になってきたのも引退を決めた理由のひとつ。僕はコーチではないが、もっと伝えることがあったけれど、役割も終わったかなと」とも思った。 98年に帝京大からドラフト2位で入団した。キャッチャーという重労働ゆえに常に故障に悩まされ、2005年から橋本将との併用ながら、やっとレギュラーに定着した。