ロッテ里崎、涙の会見「夢を超えた16年」
「入団当初は、10年、30歳までやれたらいいな。レギュラーになれたらいいなという淡い、具体的な目標も持てないキャッチャーだった。本当にゼロから、山中さんや袴田さんらコーチの方々に、プロのキャッチャーとして必要なことを教えていただき、実績もない僕をボビー・バレンタイン監督が使ってくれた。16年もやれるなど夢にも思わなかった。今……夢って越えられるものなんだなと思う」。 一発の魅力とチャンスでの勝負強さを秘めた超攻撃的捕手だった。バットのヘッドをまっすぐに高く掲げる独特のフォームから常識を覆すアッパースイングが代名詞。4番に座った試合も少なくない。 思い出の打席?と聞かれて、里崎は、2005年の10月17日、福岡で行われたソフトバンクとのプレーオフの第5戦を挙げた。1点のビハインドで迎えた8回の劇的な逆転タイムリーツーベースを放ったシーンだ。「あれはいろんな計算があっての打席だった。考え方の勝利だった」。 里崎は、その試合を今でも克明に記憶している。「僕が大活躍したと皆さんは記憶していると思うんですが、あのとき、実はヒットを3本しか打っていません。本塁打が2本と、あのツーベース。2本のホームランは、いずれも変化球だったんです」。1点のビハインドで一死一、二塁。マウンドにはソフトバンクの守護神、馬原だった。 「キャッチャーは、城島さんではなく若い的場でした。僕の次のバッターはベニーでした。キャッチャーの気持ちになると、僕よりベニーが怖い。ならば、僕で終わらせたい、ゲッツーを狙いたい。しかも、そこまで2本のホームランはいずれも変化球です。ストレートには差し込まれていました。ならばここはインハイのストレートしかないと。あたるもはっけ、あたらずもはっけの確率ですが、そこだけにタイミングを合わせ、一発で仕留めることができたんです」。 打球は、レフトフェンスを直撃した。公私にわたって慕っていた一塁ランナーの福浦が一気にホームへ。「福浦さんは、『打った瞬間に全力で走った。プロ野球人生であれだけ全力で走ったことがない』と言っていました」。そこからシリーズでは阪神を下し一気に日本一へとのぼりつめた。