近江八幡、築100年近く現役の西洋デザイン名建築の宝庫!建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの作品を建築ライターが巡ってみた
特定のエリアに、全国的に名が知れた建築家が設計した建物が多く立っていることはそうあることではありません。それも100年近くも使われ続けているというならなおさら。 滋賀県近江八幡市は、1905年にアメリカから来日し、日本で数多くの建築を設計した建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが拠点とした街で、多くの建築が現役で使われ続けています。全国にファンの多いヴォーリズの建築を街の資産として受け継ぎ、市民や観光客が憩うという動きが広がっています。
細やかな気遣いが光るヴォーリズ建築
ヴォーリズ建築の魅力は、使い手のことを考え抜いた結果生まれた独自のデザインでしょう。採光・通風のための大きなガラス窓や、ベッドを用いた寝室、システムキッチンなど、現代では当たり前となった近代的なライフスタイルをいち早く設計に取り入れていました。それも、アメリカの建築がそうなっているから、という単純な考えからではありません。正規の建築教育を受けずに独学で建築の設計を手掛けるようになったヴォーリズは、当時の建築デザインの潮流だけでなく、日本人の生活もよく観察し、健康的に生活するための理想的な建築を追求していきました。
近江八幡市内の広場に設けられたヴォーリズの銅像。
近江八幡市に残るハイド記念館(1931年竣工)。2003年まで幼稚園舎として使用されていた。縦に長い窓が特徴的。
ハイド記念館の体育館。両サイドに加えステージにも窓が設けられ、明るい空間が実現されている。
ヴォーリズの活動の根底には、キリスト教への篤い信仰があります。教師として近江八幡に赴任したヴォーリズは、その後、一信徒の立場で伝道活動を開始。その資金を賄うために建築設計事務所を立ち上げ、外用薬(近江兄弟社メンターム)の輸入販売を手掛けるなど多岐にわたる事業を展開していきます。事業は成功を収めますが、私腹を肥やすことなくその利益は教会や学校、病院の設立など社会貢献のために使われました。こうしたヴォーリズの姿勢はキリスト教信者か否かにかかわらず広く尊敬を集め、建築とともにその精神が今も近江八幡に深く根付いています。