宮川花子会見(全文3) 「大助を見送るまで絶対生きる」大助「僕好きなんですよ嫁はんがね」
医師「すぐ来てくださいと言いました」
天野医師:大助さんから最初電話を受けた時に、最初僕が聞いたのはMRSAで体がえらいことになってるんですと。僕は途中経過まったく知らなかったので、大助さんは腰の病気でね、MRSAの感染を抑えることがあるんで、自分の病気と結び付けはって、それで花子さんの状態が悪くなってると素人判断で思いはったんです。それで悪くなって感染症があるんです、それを診てくださいということで僕は電話を受けたんですね。それで「そんなことはないやろう」と僕は話聞いた時に、マヒが来てるので、元々あった腫瘍が大きくなって圧迫して動かなくなってるんじゃないかと思いまして、すぐ来てくださいといいました。 大助:狭窄症の延長だと思ってたもんね 花子;大助さんは腰部脊柱管狭窄症で、私の場合は、容姿端麗キレイしょうで。一応こんなん挟まなな。久しぶりのしゃべりやから。せっかく吉本の本社でねえ
余命半年と言われたのは?
━━余命半年と言われたが2018年の3月? 花子:3月19日です ━━その時はどう受け止められましたか 花子:秋かーと思ったんですよ。大助にそれを知られたくないと。それはすぐ消えました。次の日に先生の所へいって多発じゃなかったということでものすごく安心したんです。ここさえ治したらと。そして劇場通いながら、帰りに放射線科行って、歯医者さんいく感覚で通ってたんです。周りは全然知りませんよ ━━今回のこの病名がはっきり出たのは、大阪から奈良に戻った時? 花子:先生が血液を調べてくれはったら、数値が前みたいに戻ってると、放射線科に定期的に行ってたので、放射線科でと思ったら、ところが行ったら PETドック行ってくださいと言われて、戻ってきた時に、ここではちょっと。化学療法になると思うと言われて拒否反応が 天野医師:病気の経過で2か所にとどまることもありますし、それが進行していくこともあるということで、2か所しかなかって、骨の中には病気がなかったので通常は放射線にかけて様子を見るというのが普通の治療なんですね。そのまま治られる方も中にはおられるんですけど、花子さんの場合は残念ながら今年の1月ごろに病気があちこちに広がってたということがPET検査という画像の検査で分かったわけですよ。その時点で化学療法をやってくださいということで、大阪市内の病院で治療を受けたいということでそちらに紹介させてもらいました。ところがそこの間で治療へ行かれなかったのが5か月。それで病気が進んでしまった状態で、再びこちらにご連絡いただいたということですね