宮川花子会見(全文3) 「大助を見送るまで絶対生きる」大助「僕好きなんですよ嫁はんがね」
今思うのは、ちゃんと専門家の意見を聞いていれば
大助:もう本当にあのぉ、素人の介護でね、1階にも2階にも車いすが置いてあって、嫁が歩く時は小さな乳母車とか置いてたんです。それと外出用にも置いていて。それで、トイレ行く時にだんだん体が動かなくなってきたんで、2人でいったのね。ほんでおむつをはかしたいからそういうのを反った時に、やっぱり火傷みたいにして背中がこすれたりなんかして、それが今、じょそうっていうの? 花子:褥瘡(じょくそう)。ええとこまで言うねんけどな。ごめんなさいねー。せっかく看病してくれてるからキツイこと言いたないんですけど、毎日来てくれてね、おししいものもってきてくれてんねんけど、ごめんごめん 大助:そんなんがただれてきたりとかなんかあって、今思うのは、ちゃんと専門家の意見を聞いて、5か所、4か所の骨が折れてるんですよ。ほんでお風呂入る時も、僕がいれてたのね。一緒に入ろうということで、二人裸で、ぼく嫁はん抱いてずーっと入っていった時に、まさか自分とこの家のお風呂場が、床が滑るなんて考えたこともなかったんで。ズルーンって滑って、それが後に分かったのが、座骨が折れとったという 花子:あんたやろ原因だから 大助:ええ申し訳ございません 花子:私こないだレントゲン撮ったんですよ。骨はおれてませんけど、治った跡がありますって。なんやろ思ったら原因分かったわ 大助:だまっててもよかったんですけど。そんなような形で、それが腫瘍でね神経がマヒしてるんで本当に痛みが表に出なかった。ところがそれが別の場所の腫瘍であれば、絶叫してたと思います、痛みで
いちばん最初は放射線科を受けた
━━5か月ほっといて、治らないということはわかってらっしゃるわけじゃないですか、それで、なぜ、覚悟したっておっしゃったんですよね。 花子:そんなになってるって全然分かってなかったんです。だから、レントゲン撮ってここに腫瘍がありますっていうのは後ほどなんです。病院入った時はわたし、自分がどこに腫瘍があって、そういのがまったく分からなかった。目の後ろも腫瘍やと思ってなかったんです。 大助:いちばん最初はね、放射線科を受けたんですよ。僕と同じような狭窄症やと思ったんですよ。僕は5番と3番目が腰椎の腰痛で手術をしてボルトが6本入ってます。女房は5番と2番で。それを放射線で治療を受けてて、車でも横になって行ってる状態で、それを無理したらぐちゃっとなるんで、花子さん若いんで修正も聞きますんで用心してくださいの延長で体が不自由なのかなというのもあったんです。 花子:その痛みさえなかったら、私、吉本坂に入ってるんや。最後がダンスだったんですよ。やったなこれでイケるわ言うて最終決戦まで。その時に跳んだりしたらあきませんと。シャンプーハットが「師匠、フォーメーションになってるので立つだけでも立っといてください」と。それで行って立ってたんです。悔しかったなあ、ほんまやったら今ごろやってたのになあ 大助:行かんでよかった。えらいことになるところやった。そういうねえ、本当に、素人の浅知恵みたいなもので僕らも対処したんです。 花子:それはほんまに駄目ですわ。そこですわ