試験に落ちる、病気で倒れる…望み通りではなくても、人生を楽しむ考え方。まずは役に立つ、役に立たない、という発想から自由になる
◆どうでもよくなる 九鬼周造がこんなことを書いている。 作家の林芙美子が北京への旅の帰りに、九鬼のいる京都へ立ち寄った。林が何かの拍子に小唄が好きだといったので、小唄のレコードをかけて皆で聴くことになった。 〈「小唄を聴いているとなんにもどうでもかまわないという気になってしまう」〉 (「小唄のレコード」『九鬼周造随筆集』所収) 九鬼は林のこの言葉に「心の底から共鳴」し、こういった。 〈「私もほんとうにそのとおりに思う。こういうものを聴くとなにもどうでもよくなる」〉 (前掲書) 私は学生の頃、オーケストラでホルンを演奏していたので、他のことはどうでもよくなるという気になると林や九鬼がいったことの意味がよくわかる。 あの頃は勉強もしていたが、講義室に行く前に部活動室に直行していた。 〈私は端唄や小唄を聴いていると、自分に属して価値あるように思われていたあれだのこれだのを悉(ことごと)く失ってもいささかも惜しくないという気持になる。ただ情感の世界にだけ住みたいという気持になる〉 (前掲書) ふと合理的に考え、計算してしまうと、こんなことをしていていいのかと思ってしまうと、生きる喜びは失せてしまう。 ※本稿は、『悩める時の百冊百話-人生を救うあのセリフ、この思索』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
岸見一郎