フェンシング・宮脇花綸インタビュー「2大会連続で五輪出場を逃したときは、引退も考えました...」
そうして、東京五輪の際には(フェンシングを)続けると決めていて、厳しい状況でパリ五輪を目指すという覚悟はしていたので、東京五輪が終わったあとの状況については、『まあ、こんなものかな』と想像はしていました」 ――そういった心境にあって、特に追い込まれるような意識にはならなかった、という感じでしょうか。 「そうですね。生きていけないことはないだろう、と思っていましたから。大学の時からひとり暮らしで、フェンシングの遠征費も自分で払っていました。また、社会人になってからは、(無職の時も含め)親に金銭的な援助をしてもらったことはもちろんないですし、逞しさはありました」 ――その後、2022年ワールドカップで個人銅メダルを獲得。2023年に入ってからは、団体でも世界選手権でも表彰台に上がるようになりました。 「2022年の頃はまだ、うまくいかないなと思う時もありました。団体戦では大差で勝っていながら逆転負けしてしまうこともあって。東京五輪で感じた課題を克服できていませんでした。それでも、2023年に入ってからは追いつかれたところから再び相手を引き離すなど、勝つチームになれてきた。やっと、課題を克服したいいチームになったのかな、と思うようになりました」 (つづく) 宮脇花綸(みやわき・かりん)1997年2月4日生まれ。東京都出身。三菱電機(株)所属。姉の影響で幼稚園の頃からフェンシングを始める。小学校、中学校時代にはさまざまな大会で活躍。2014年南京ユースオリンピックで日本代表に選出され、女子フルーレ個人で銀メダルを獲得。2016年リオデジャネイロ五輪、2021年東京五輪出場は叶わなかったが、2024年パリ五輪に出場。女子フルーレ団体で銅メダルを獲得した。
折山淑美●取材・構成 text by Oriyama Toshimi