「学歴がないんだから料理で女を落とせ」人気シェフ桝谷周一郎を奮起させた先輩の言葉
◇「シェフはホストであれ」そう思っていた20代 Accaで勉強したのち、紆余曲折あって、その3年後に独立することができました。場所は代官山、といってもへんぴなところでしたが。でも、25歳までに店を出すという夢を叶えることはできました。 「ルッカ」と名付けたのは完全にインスピレーションです。同じ名前の都市があるってことも知りませんでしたから。 念願だった自分の城を持ったものの、そもそも交通の便が悪いから人が歩いてない(笑)。もちろん客は来ないから、店を回すのに必要なお金は、別のアルバイトをして稼いでいました。 「自分はこの世界でとにかく名を成すんだ」 「有名な料理雑誌の表紙になるんだ」 あの頃は、ギラギラしてましたね。 僕がとった戦略はシンプルに薄利多売。Accaでは8800円で出していたフルコースを、こっちは4000円で出す。もちろん食材だってこだわりました。とにかく採算は度外視で手を抜かない。店の評判を高めることを狙いました。口コミにかけた結果、次第に食通たちがおもしろがって来てくれるようになり、ようやく店は軌道に乗ります。 当時は寝なくたって全然平気。仕事がとにかく楽しかった。50歳を越えた今だと、とてもあんな働き方はできないですね。 そして、女の子ともたくさん遊びました。 料理を出したあとに感想を聞きに行ったり、店が終わったあとに飲みに行くこともありました。 「シェフは料理人と同時にホストであれ」 これは昔、勤めていた店のオーナーの教えで、僕はそれを愚直に実践していただけです(笑)。仕事に遊び、僕の20代はとても充実していたんでしょう。 (取材:キンマサタカ)
NewsCrunch編集部