世界一になって親から言われた「これでやめられるね」、梅原大吾が頂点を極めて見た景色は
日本人プロゲーマーの先駆者、梅原大吾さん(43)。四六時中やり続けた格闘ゲームで、15歳の時に日本一となり、その翌年には世界大会も制覇する。 【写真】11歳の頃の梅原さん
(読売中高生新聞編集室 星野達哉)
世界大会でよぎった「ゲーセン通い」の日々
「国内の大会にはゲーム雑誌を見て応募しました。格闘ゲームメーカーの公認大会で、各地のゲームセンターで予選を勝ち抜き、本戦に残った500人がトーナメント形式で優勝を争う大会でした。出場者には大学生も多く、高校2年生の僕は最年少。それでも、トントン拍子に勝ちを重ねてトップになり、アメリカ・サンフランシスコで開かれる世界大会出場の切符を手に入れます。
世界大会では、時差ボケで睡眠不足だったうえに、決勝の相手はアメリカ人で会場の雰囲気は完全にアウェー。それでも、ギリギリで勝つことができました。今でも、あの状況でよく優勝できたと思います。あれだけゲームセンターに通って、練習を重ねていると、どんなに劣勢に追い込まれても『負けちゃいけない』と最後まで強い気持ちが残るんですよね」
うまくなりたい一心で、ゲームセンターに通い詰めた日々。創意工夫を重ねた練習が、苦しい局面でも支えになった。
「格闘ゲームに関して特別な才能があったわけではありません。たとえば、反射神経の良さや手先の器用さといった点では、より優れた人がほかにもいました。じゃあ、自分の武器は何なのかといったら、それは誰よりもゲームセンターに通い続けたという自負だったんです。10日とか1か月だったら、何とも思わなかったかもしれません。ゲームセンター通いは、いつしか半年、1年、2年と続き、『ほかの人たちがやめても僕はやる』と強く思っていました。
少しでもうまくなれそうな練習テーマを見つけたら、僕はとにかくそれを試してみるということを面白がってできていたからでしょうか。当時、対戦ゲームは歴史が浅く、どんな練習方法が効果的なのかも、よくわかりませんでした。でも、毎日一つでもいいから、何か上達できたと思える発見をしようと練習を重ねました。何も考えずに漠然とゲームをプレーしただけでは、それなりの成果しか得られなかったでしょう。全然うまくいかなければ、いずれは飽きてしまうかもしれません。だけど、僕は『やり切るぞ』っていう気持ちでいろいろなことを試し続けていたので、飽きるということは全くありませんでした。そのおかげで、結果もついてきたのだと思っています」