建築から戦争を考える(中)第二次世界大戦に駆り立てた都市化への怨念
あすは8月15日、73回目の終戦の日です。 そこで、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんが、都市と建築という視点から、3回に分けて戦争論を執筆します。2回目は第2次世界大戦・太平洋戦争を文化戦争ととらえ、その原因を都市と地方の対立からみていきます。
国民感情の戦争
水力発電(ダム)の技術者だった父は生前、真珠湾攻撃のニュースを知って「大変なことになったと思ったが、家の外に出ると、みんながバンザイしていたので何もいえなかった」と語っていた。 同じような経験をした日本人は多いだろう。「バンザイの魔力」とでもいうべきか、合唱の空気の中、早くも皇国思想に染まっていた兄を諭すこともできなかったようだ。 どんな時代の歴史観も、その時代をつくった政治的事件に影響されている。つまりわれわれは維新史観と戦後史観の中にいる。端的にいえば、明治維新は正しく、太平洋戦争はまちがっていたという歴史観だ。 そして第二次世界大戦は、第一次世界大戦と同様の帝国主義戦争であり、民主主義とファシズムの戦いであり、民主主義の側が正しく、だからこそ勝利したという考え方であり、ドイツではナチスが悪く、日本では主戦派の軍部が悪かったという総括である。まあ「勝てば官軍」というやつだ。 しかし歴史を振り返ってみると、僕は、ドイツの戦争も日本の戦争も、ナチと軍部だけではなく、国民が、それもその情緒的な部分が主役であったような気がするのである。どちらも選挙によって代表を選ぶ政治体制であり、その戦争意志は「国民感情」を母体として生まれたのではないか。
第一次世界大戦と第二次世界大戦は違う
第一次世界大戦と第二次世界大戦は、名前の点からも「近い」印象で、どちらも帝国主義の戦争とされてきた。 しかしナチは「国家社会主義ドイツ労働者党」であり、2・26事件の理論的支柱であった北一輝も国家社会主義者である。つまりどちらのイデオロギーも社会主義であり、その綱領あるいは著作は反資本主義感情で貫かれている。 二つの国民を戦争に駆り立てたのは、戦後いわれるような、資本主義と結びついた帝国主義という側面ももちろんあるが、密かに蔓延していたのはむしろ、資本主義に対する怨念ともいうべき感情であり、その点ではソビエトや中国の共産主義と遠くない(ドイツでは民族主義、日本では家族主義が強く、インターナショナルのマルクス主義ではなかったが)思想であった。つまり文化論的に見て、第二次世界大戦は、第一次世界大戦の帝国主義戦争と、冷戦以後の思想拡大戦争とのあいだにあるのではないか。