建築から戦争を考える(中)第二次世界大戦に駆り立てた都市化への怨念
都市化に対する怨念
近代は猛烈な都市化時代である。19世紀以来の人口爆発は、ほとんど都市が吸収している、いわば都市爆発であった。 僕は「建築様式の分類と分布」において、人間は「都市化する動物」であるという考えをもったが、もう一つの研究の柱である「文学の中の都市と建築」において、人間は「都市化に対する怨念」をもつという考えに至った。第二次世界大戦におけるドイツと日本の国民感情には、その怨念が強く感じられるのだ。 戦後思想の中心的存在であった政治学者の丸山真男は、太平洋戦争の主要因を、5・15事件、2・26事件などの軍事クーデターの試みである(これによって戦争反対を公言できなくなった)とし、そこに都市(東京)に対する地方(東北)の怨念があることを指摘している。 ナチが唱えた「血と土」は民族と土地であり、特定の国家に拠らず特に知識と金融を職業として連携するユダヤ人を敵視した。ここにも都市化に対する怨念が感じられる。農村を基本として都市を敵視する感覚は、その後展開されたスターリンや毛沢東、またポルポトの思想にも強く見られるものだ。 ドイツも日本も、19世紀後半から急速に近代的都市化を遂げた国であり、国内にはその精神的歪みが蓄積されていた。その怨念が、ドイツでは「ゲルマンの森の文化」と結びついた民族主義となり、日本では「島国の樹の文化」と結びついた家族主義となり、古代地中海から近世近代の西欧(英仏米を中心とする)文明へとつながる人類の都市化のメインストリームに対する「反力」としての感情となったのではないか。 資本主義とは、都市化を進める強い力であり、これによって近代の都市化は加速度的なものとなった。
文学に現れる都市化の反力
僕が「都市化に対する怨念」ということを感じたのは『万葉集』に現れる都市と建築についての研究においてであった。藤原京から平城京へという万葉の盛期は、この国に初めて本格的な都市が成立し壮麗な仏寺が建ち並んだ時代で、外来の文字(漢字)と宗教(仏教)による都市化が一挙に進んだ時期である。 しかし万葉には、都市のにぎわいも、仏寺の壮麗さも一切登場しない。名もない農民と兵士(防人)の歌が大量に収められ、昔から変わらない大自然の中の人間の哀しみと喜びが表現されている。『万葉集』は反都市文明の歌集なのだ。「都市化の反力」が歌となっているのだ。 近代に目を転じれば、夏目漱石は当時もっとも西洋事情につうじた英語(英文学)学者であったが、彼はむしろ西洋を皮肉な目で見ること(『吾輩は猫である』)によって作家となった。その作品群は西欧近代文明に対する知的シニシズムに満ちている。 また昭和演歌の歌詞を分析すると、北の歌ばかりで南の歌がない。東北、北海道から東京に出てきた人間の心情に寄り添う内容が多く、ここにも急速な都市化(特に東京集中)の進展によって故郷を離れざるを得なかった人間の怨念ともいうべき感情が現れている。 そう考えて見ると、太平洋戦争に突っ走った昭和初期は、日本列島において、資本主義的都市化に対する反対感情がピークに達した時期である。尊王攘夷以来の国民感情の振り子が大きく振れ返したのだ。『昭和万葉集』という歌集には、本当の『万葉集』に似て、この時代を生きた市井の人間の哀切が収集されている。その意味で、万葉時代と明治から昭和初期とは通じるものがある。