建築から戦争を考える(中)第二次世界大戦に駆り立てた都市化への怨念
「大戦争」の原因の変化
実は「世界大戦」という呼称は日本独特だという。 英語では「world war」であるから「世界戦争」であり、「大戦争」とも呼ばれたので、日本ではそれを合わせたのだ。しかしヨーロッパでは、フランス革命からナポレオン戦争までを、欧州全体を巻き込んだという意味で「大戦争」と呼んでいたところもあり、それにアメリカや日本が加わることによって「世界戦争」という呼び方が生まれた。つまり近代ヨーロッパには、革命とナポレオン、第一次、第二次という、三つの「大戦争」があったということだ。 この大戦争の変遷に、近代文明の進展による戦争の根本的な変質が現れている。 ナポレオン戦争における火器戦術の発達、第一次世界大戦における輸送機器の武器化(戦車、戦闘機、爆撃機、戦艦、潜水艦など)、第二次世界大戦における核兵器の登場と、戦争技術が驚異的に発達したこと、また王の戦争から、市民の戦争、国民の戦争へ、さらに第二次大戦後は、曖昧な組織集団の戦争(ゲリラ)、思想化された個人の戦争(テロ)へ、という主体の変化もあったことは前に述べたが、ここでは戦争の精神的要因の変化に焦点を当てる。 ナポレオン戦争には市民革命の原理を全欧州に広げるという思想的背景があった。トルストイ(『戦争と平和』)も、ベートーベン(『交響曲第三番・英雄』)も、クラウゼビッツ(『戦争論』)も、憎むべき敵国の将でありながら、ナポレオンを英雄扱いしているのは、革命と戦争が、文明の進歩という近代思想と結びついていたからだろう。 第一次世界大戦は、ウィーン会議後に復活した王権の残る帝国主義国家どうしの、領土をめぐる衝突であった。その点では過去に戻ったようだが、国家資本主義の拡大というモチベーションが強く働いていた点で、それまでの王の戦争とは異なっていた。 第二次世界大戦は、第一次と同様の国家資本主義拡大という様相もあったのではあるが、その精神的要因には「資本主義(第一次大戦後急速に機械化した)に対する怨念」ともいうべき国民感情が働いていた。 そしてそれは、都市化に対する怨念でもある。 そしてそれは、人間の生命体としての根源的性質であり、必ずしも全否定されるべきものではないのだ。