建築から戦争を考える(中)第二次世界大戦に駆り立てた都市化への怨念
文化力学は都市化における力学
近代の科学技術文明と資本主義による都市爆発の時代、どんな国にも「都市化とその反力」の歴史的な転変があった。 第二次世界大戦前後の日本とドイツ、社会主義から資本主義に転じたロシアと中国、その他、独立と革命の混乱から経済発展に舵を切るアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々、いずれも苦難の道であった。 トランプのアメリカも、そういった観点から見ることができる。僕の経験(一年ほど住んだ)では、アメリカとは、急速な都市化とその反力に引き裂かれた国家である。それが知的エリートと非エリート、北部と南部、白人と有色人種、英語人とスペイン語人などの溝になっているのだ。移民の国であり多人種多文化の国であるというだけでなく、都市化に対する文化ギャップそのものが、この国の大きな特色ではないか。 イギリスとフランスは、歴史的に常に都市化の側にあったようだが、実はその内部に大きな軋轢を抱えている。僕の経験(数ヶ月住んだ)では、実力主義でわりとフランクなドイツやアメリカ以上に、保守的かつ排他的な部分が根強く残され、それがある種の貴族意識と結びついている。EUという国家を超えようとする都市化の力とともに、逆にその反力としての国家主義が噴出するのも理解できるのだ。 人間は都市化する動物であり、都市化への怨念を抱く動物でもある。 「文化の力学」は、都市化における心的な力関係を考えることであり、前回述べた「超戦略」は、その力学を理解することから始まる。 父の仕事(台湾電力の発電所)の関係で引き揚げが遅れ、そのあいだに生まれた僕は、東シナ海を超えて初めて日本の土を踏んだ。この揺籃の海が文化的相互発展の場となるよう切望している。