そうだったのか! 白バイの先祖?「赤バイ」の正体とは
「赤バイ」の正体とは?
「赤バイ」が登場したのは、1918年1月1日。警視庁初の取り締まり用オートバイとして、アメリカのモーターサイクル「インディアン1000」が採用されました。当時は車体が赤く塗られていたため赤バイの呼称で親しまれており、交通指導や取り締まりなど、現在の白バイのような役割を担っていたのです。 【画像】赤バイ、白バイを画像で見る(10枚)
その後、1936年8月に赤バイの後継にあたる白バイが登場。現在の私たちに馴染みの深い警察用バイクの白い塗装は、アメリカやヨーロッパの警察が白い塗装のバイクを採用していたため、それに倣ったものだといわれています。 ちなみに、白はよく目立つ色であり、「平和と清潔」を表す色でもあります。そういった観点などからも、緊急自動車である白バイの塗装は法律によって白色に定められているため、現代は警察の緊急自動車としての「赤バイ」は存在しません。 つまり、赤バイは白バイのご先祖様。一番初めの赤バイは、たった3台のみが採用されていましたが、その後、白バイは32台から始まり、現代では警視庁だけでも958台の白バイを保有するまでに拡大されました。 赤バイの時代から100年以上が経った現在に至るまで、赤バイから白バイへ姿を変えながら、私たちの平和と安全のために活躍し続けているのです。 そして、かつての赤バイは時を経て、消防局の赤バイとして活躍しています。初めて登場したのは、1966年12月1日のこと。大阪市消防局で、運用が開始されました。
当時は「敏動隊」と呼ばれ、大阪市内の東西南北それぞれの消防署と、東住吉消防署に1台ずつ配置。その後、東京では1969年10月1日から、日本橋、小岩、立川の各消防署の所有車両を赤バイに改良して運用を開始。 1971年2月15日からはホンダ「ドリームCB350FV」を導入し、日本橋、牛込、小岩各消防署で正式に運用されました。 ちなみに現在は、東京消防庁消防博物館で、初期の赤バイを見ることが可能。敏捷で小回りのきく赤バイは、実際にマンションなど、狭い道をとおる必要がある火災現場などで活躍していましたが、1976年5月20日に一度廃止されました。