「主筆室でポックリ死んで、秘書に発見される…」読売新聞主筆・渡邉恒雄が生前に明かしていた“理想の死に方”とは《追悼》
哲学青年にとっての死の恐怖とは
――渡邉氏は東大哲学科卒。哲学青年だった彼はカントとニーチェの思想で戦争の死の恐怖に耐えたという。 渡邉 死にゆく人は天国とか極楽とかがあって、信仰のある者は天国に行けるとか、宗教心で死に耐える。ところが僕は、無宗教、無神論。僕に宗教があるとすれば、カントの道徳哲学。 もう1つはニーチェだったんだが、最近ニーチェがやたらと売れている。改めて読んでみると、矛盾だらけで読めば読むほどつまらないんだな。もう1年くらい前から、否定している。あれは哲学ではない。 となると、僕にはカントしかない。これは要するに、「この世で最上の価値は何かと言うと、うちなる道徳律である」ということ。僕にとって宗教的なものはこれしかない。自分の人格、誰にも誇れるだけの完璧な道徳律というものを自分で持っている、そのことだけが価値がある、だからそのまま死ねばいいと。 それはもう、他人には一切わかりません。ただ死ぬ時に、自分だけが「俺は自分の道徳律を破った悪事は働いていない、綺麗に死ねたな」と思えれば、それで満足だね。 ――「こんなものが来たんだ」と渡邉氏は記者に1通の手紙を差し出した。差出人は「小林克己」となっている。「諸先輩 友人 知己の皆様」から始まるその手紙には「私 小林克己 はこのほど死亡いたしました」とある。 渡邉 小林克己君というのは、中曾根さんの秘書で、僕の旧制高校の2年後輩だった。東大でも一緒。僕が最も信頼して1番親しい弟のような後輩だった。 参議院の参事をやっていたのを僕が中曾根さんの秘書にした。彼が選挙事務長をやると、中曾根さんはトップ当選だし、(中曾根)弘文君も彼が事務長やって、当選した。 本当に頭のいい奴でね。1度僕が、彼を別の仕事で欲しがった事があって、それを中曾根さんに言った。すると「小林君は私の掌中の金です、手放せません」と言われたんだ。 しばしば彼を呼んで、2人だけで飯を食べながら昔話をするのが楽しみだったから、そろそろ彼に電話をかけようと思っていたら、これ(手紙)が来た。今年(2012年)の1月です。 腰が抜けたね。ビックリした。70年近い付き合いだから、間違いなく宛名は彼の字。初めは自殺かと思ったんだけど、色々親族に聞くと、違った。 どうやら奥さんが死んでから、子供もいなかったから1人で住んでいて、いつ自分が死ぬかわからないと思ったんだろうな。それで「俺に万が一のことがあったら引き出しの中の箱を開けてくれ」と言い残してあったそうだ。開けたらこれが出てきた。100人くらいに出したらしくて、政界では有名になった。 手紙には「葬式その他これに類する行事は一切行なわないよう、周りの者に言い残してあります」とある。だが中曾根さんから電話が掛かってきて、いくらなんでも何もやらないのはおかしいから、と言って、ホテルで100人から200人くらい集まってお別れの会をやったんだ。中曾根派の与謝野(馨)君とか島村(宜伸)君とか、皆来てね。 これが死に方としては最も印象的だな。超理性的な死に方だ。実は、俺もこれやろうかな、と思っているんだ(笑)。「私 渡邉恒雄 はこのほど死にました」とね。