アサド政権なぜ崩壊?圧政でシリアに帰れなくなった男性「反体制派が良い組織か悪い組織か、いま判断するのは難しい」
シリアの反体制派の武装勢力「シャーム解放機構(HTS)」は8日、首都ダマスカスに入り、アサド政権の崩壊を表明した。その後、アサド大統領はロシアに亡命したと伝えられた。13年にわたるシリアでの内戦は、約30万人の民間人犠牲者と、1300万人の難民を生んだ。 【映像】反体制派の市民が“銅像の首”を持ち上げ大歓喜する様子 1971年以降、大統領を務めた父、ハーフィズ・アサド前大統領の後継者として、2000年から政権を握ることとなったバッシャール・アサド氏は、父と同じく独裁体制を敷いた。2011年から中東で拡大した、民主化を訴える反政府デモ「アラブの春」がシリアにも波及したことを発端に、アサド政権の独裁や監視体制に対抗した民主化運動が勃発し、激しい内戦へと繋がっていった。 アサド政権は一時、崩壊寸前だったが、ロシアやイラン、ヒズボラが政権を後押ししたことで状況は変わった。軍事援護を受けながら形勢を逆転し、反政府勢力はほぼ壊滅状態に。しかし今年に入り、11月下旬、反体制派が再び攻撃を始めると、わずか10日あまりで首都ダマスカスが制圧された。『ABEMA Prime』では二代、半世紀にわたったアサド政権の崩壊がなぜいま起きたのか、シリアのこれまでとこれからを考えた。
■反政府勢力が勝利宣言「周りのシリア人は『フェイクニュースじゃないか』と思っている」
反政府勢力であるシャーム解放機構(HTS)指導者のジャウラニ氏は12月8日、「アサド大統領に対する勝利はイスラム国家の勝利だ。シリアにとって新たな歴史だ」と勝利宣言を行った。 シリアで生まれ育ったアルマンスール・アセムさんは、2015年に来日するも、アサド政権の圧政により帰国できなくなったという。今回のニュースを受けて、「心から喜んだ。夢みたいで、周りのシリア人も『フェイクニュースじゃないか』と思ったくらいだ。53年間の独裁政権が、あっという間に崩壊して、誰も信じられない状況だ」。 2011年、民主化運動「アラブの春」によるデモが起きた当時、アセムさんは大学生だった。「若者は『デモで政権を崩壊できる。SNSの影響で世界中が手伝ってくれる』と希望を抱いていた。しかしシリアでは戦争が始まり、デモはあまり意味がない状況になってしまった。2015年には、国際的な動きの中で状態が悪化して、多くのシリア人は絶望的になった」と振り返った。