喫茶店でコーヒーを飲む金もないのに…精神疾患のある人が頑固に「支援」を拒否していた意外な理由
我が国には、障害者や生活困窮者の家計を助けるさまざまな社会保障制度がある。にもかかわらず、困っている当事者が利用を拒み、苦しい生活を続ける例が昔も今も跡を絶たない。なぜ自ら苦しい道を選んでしまうのか、『発達障害・精神疾患がある子とその家族が もらえるお金・減らせる支出』を出版した日本福祉大学の青木聖久教授が現場経験をもとに解き明かす。 【画像】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由
精神疾患があるのに支援を断り続けた和田さん
いまでこそ「教授」の肩書で大学での教育・研究、そして各地での講演活動を業(なりわい)としている私ですが、かつては精神科病院や小規模作業所で、精神疾患を抱えた方やその家族の支援に直接携わっていた時期があります。現場で取り組んでいた業務のなかでも、経済的支援の制度につなぐこと、とくに「障害年金」の受給のお手伝いをすることは大切な仕事でした。 そして障害年金の話になると、いつもある男性のことを思い出します。和田さん(仮名)という方です。 和田さんは元来、素直で優しい青年でした。成績も優秀で、ある有名な国立大学に入学しましたが、その直後、年齢で言うと19歳のときに発症し、38歳になるまで精神科病院への入退院を繰り返すという、つらい経験をしてこられた方でした。 彼自身は、「たぶん、自分は精神障害を持っている」と感じながらも、「このことを社会的に認めたら、精神障害者として今後の人生を歩んでいかなければならなくなる」「社会に甘えるのはいやだ」などと考えて、周囲が後押ししても、決して障害年金を請求しようとしませんでした(註:障害年金を申請することを、制度上の用語では「請求する」と言います)。
300円のコーヒーを「金ない」と断念
その和田さんの生活状況はというと、両親と3人暮らしで、毎日300円をもらって細々と暮らしている……という状態でした。ここで書いているのは1990年代のエピソードですが、それにしても若者の1日分の生活費としては、あまりにもささやかな額だったと思います。 年老いた両親との生活は、和田さんには刺激が乏しすぎたのでしょう。「気軽に話せる仲間が欲しい」という思いから、彼は近隣の作業所に通い始めました。幸いにも作業所にとけ込むことができ、ほどなく和田さんは、仲間と煙草をくゆらせながら談笑するようになります。1日に15本ばかり喫煙し、さらに自分にとって絶妙なタイミングで冷えた缶コーヒーを買って飲む……それが彼にとっての最高の幸せでした。 そんなある日、和田さんがいつものように煙草を吸いながら仲間と談笑していると、作業所で誰もが慕う橋本さん(仮名、50歳)が現れて、彼にこう声をかけました。 「おう和田くん、久しぶりやな。茶でも飲みにいこか」 つまり喫茶店に誘ったのです。1日300円でやりくりする和田さんにとって、喫茶店で1杯300円のコーヒーを飲むなど考えられないことでした。その日の小遣いが一瞬にして消える額です。彼にとってはあり得ない贅沢(ぜいたく)。和田さんは驚くとともに、正直に「金ないわあ」と断わったのでした。