ヒグマに襲われた数名の死体が…「もう少し早く知らせてもらっていたら」「三毛別事件」凶悪熊を討ち取った「伝説のハンター」の悔恨
「オマエ、こくこんなことろまできたな」
インタビュー記事にある通り、兵吉は「オンネの沢」を午後に発し、一メートル近い積雪と吹雪の中を山を越えて、日暮れには三毛別に到着している。『苫前町史』によれば、かつて杣夫や猟師が三毛別から鬼鹿に出るには、「松下沢」を上り、苫前町と小平町の境界を越えて温寧川の支流に出て、これを下って鬼鹿市街に達するのが常で(『苫前町史』昭和五十七年)、古丹別に行くよりも近かった。 地図を見ると、三毛別川から東に向かう「松下沢」は、上流で二股に分かれ、右が本流、左が俗に「トウゲの沢」と呼ばれる支流となる。この「トウゲの沢」を詰めていくと、小平町と苫前町の境界となる尾根に出る。尾根の反対側を東南に下っていくと、町史にある通り、温寧川の支流の沢に出て、「オンネ沢」つまり「田代集落」に至る。「トウゲの沢」という名称からしても、兵吉をはじめ、六線沢の村人が行き交ったであろう山道は、このルートに違いない。 今回、筆者は三毛別と鬼鹿をつなぐ、この「トウゲの沢」を目指して、実際に歩いてみた。六月某日午前六時、松下沢の車止めゲートから歩きはじめた。天候は曇天だが湿度が高く蒸し暑い。林道はよく整備されており、一時間ほどで二股に出た。右股が「トウゲの沢」である。ここから路面状況は一気に悪くなり、幅二メートル程度の沢伝いに、切れ切れに小径が続いている。要所要所にピンクテープを巻きながら進む。そのうち林道は徐々に高度を上げていき、同時に熊笹が密生し始めた。 実は一年前の令和五年夏に、北海道全域で笹が一斉開花し、枯死した。数十年から百年に一度ともいわれる珍現象だが、そのおかげで見通しが効いたのは僥倖であった。しかし林道は崩落により消失し、ロストすることが多くなった。沢からかなり高い地点のため、滑落の恐怖に脅えながら進む。そしてふと見上げた先に、目印のために伐らずに残したものであろう、ひときわ大きな巨木が出現した。おそらく兵吉も、この大樹の下で一服して、汗を拭ったことだろう。六線沢に入植した移民団も、この大樹を拠り所に、鍋釜を携えて峠を下っていったに違いない。 人々の往来が杜絶して百年が過ぎ、かつての峠道は自然に帰ろうとしていた。その樹上を見上げた瞬間、 「オマエ、よくこんなところまで来たな」 そう大樹が語りかけてくれたような気がした。
中山 茂大(ノンフィクション作家)