「反対するものは、叩き斬る」…「特攻を続ける」ことを決めた大西瀧治郎中将が放った「強烈なことば」
失礼なことを言われてカッときた
そして、笠井にとってはじめての夜間着陸でセブ基地に着陸し、飛行長・中島少佐に報告をしたとき、ちょっとした事件が起こる。ふたたび笠井の話。 「菅野大尉の報告に対して、中島少佐が直掩方法や戦果確認について何か文句をつけた。細かなやり取りは覚えていませんが、『ほんとうに確認したのか』ということを何度も聞かれたようです。それで菅野大尉が怒って拳銃に手をかけた。思わず手がいき、力が入ったみたいです。バンッていう音がして拳銃が暴発し、弾丸はまともにではないが、菅野大尉の足の親指に当ったらしい。『すまんが、肩を貸してくれ』と足をひきずりながら、『失礼なことをいわれてカッときた』というようなことを言ってましたね」 だがじつは、山田恭司大尉(偵察員)、茂木利夫飛曹長(操縦)の一番機は、この日、敵艦に突入していなかった。角田和男少尉が、この2ヵ月後の12月28日、マバラカットで茂木少尉(11月1日進級)と、確かに会っている。茂木は予科練で角田の一期後輩で、予科練五、六、七期合同の1万メートル競走で1番という運動神経の持ち主だった。そして開戦以来、急降下爆撃でまだ一度も爆弾を外したことはないという名人でもあった。 角田は、 「薄暮攻撃で対空砲火のなか、敵艦突入を最後まで見届けるのは困難です。空は明るくても海面は真っ暗ですからね。若い菅野大尉に、上空から敵艦の識別ができたかどうか。中島飛行長が文句をつけたというのは、すでに一番機不時着の報告が入っていて、直掩機の士官が自爆を確認したと主張すれば、戦死扱いにせざるを得なくなるから、そのためではないでしょうか」 と推論する。笠井一飛曹が、「不発だったように思う」という一番機は、じっさいには突入していなかったのだ。 山田大尉も茂木少尉も、深堀大尉、松本飛曹長も、戦死したとの扱いのまま、孤独な戦いを続けていたに相違ないが、公式に残された記録からこれ以後の足跡をたどるのは不可能である。(続く)
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)