夫婦、友達、親子…年齢とともに関係性が変わってくる「家族との距離感」を整理するための“3つの心得”
もう1つ大切なのは、同じ時間、同じ空間を共有する努力を怠らないこと。仏教では、何かしら相手との共通項に気づくことから、慈悲(やさしさ)が生まれると説きます。私もその通りだと思います。「あなたはあなた、私は私」と割りきってしまうと、やさしさが発生しないのです。 葬儀の現場にいる坊主として、仲のよい夫婦ほど、どちらかが亡くなったときの喪失感が早く解消することを実感しています。今の夫婦関係を少し変化させつつ、相手をおもんばかった、仲のよい夫婦でいたいものですね。
※外部配信先ではイラストを全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください ■心の垣根のもっとも内側にいる人は、誰ですか? 仏教で説く仏さまには、心の垣根がありません。誰に対しても分けへだてのない「絶対平等」の地にいるからです。しかし、人間関係の中で生きている私たちがその境地に至るのは、簡単ではありません。人は幾重にも、心に垣根をはっているものなのです。 もっとも内側の垣根の中にいるのは、ケンカをしても、翌日には何もなかったようにふるまえる人たちです。親きょうだい、親友などがここに入るでしょう。その外側には、気の合う友人や親戚、同僚や近所の人が入るでしょう。Aさんには何かしてあげるけど、Bさんにはしないということなら、あなたの心の中で、AさんをBさんより内側の垣根の中に入れているということです。
私は中学生の頃、「友達は財産です。ですから貪欲にためこもうとすることをお許しいただきたいのです」という言葉に出合って感動しました(出典は不明ですが、小説か戯曲のセリフでしょう)。お金などの財産がない思春期の若者にとって、友達は財産であり、増やしていいというメッセージはとても新鮮で魅力的に響いたのです。 大人でも「私は友達が多いほうです」と少々得意げに言う人は少なくありません。「友達の友達は、友達」という言葉もありますが、冷静に考えれば“友達の友達はただの他人”です。それでも、「私の友達の友達が……」とつい自慢してしまいたくなるのは、友達の多さを人間的な魅力の基準のように考えているからではないでしょうか。