〈パリ五輪で国威発揚図る韓国〉開会式“言い間違え”で火が付く韓国人と、冷めたフランス国内
残る文化圏での溝
筆者が冒頭で、パリ五輪開会式の騒動から日本人が改めて認識しなければならない大切なことがあると述べたことを思い出してほしい。本稿を終えるにあたり、二つのことを指摘したい。 一つは、文化圏の違いによる相互認識の埋められない溝が残っているということだ。 フィガロ紙が開会式の騒動を伝えた記事で、アジア人なら常識であることを記したように、西欧キリスト教文明圏にある諸国のアジア理解は低い。一方で、長く滞日するフランス人が述べたように、私たちも欧州の理解に乏しい。これはアジアと欧州だけの問題ではなく、全世界に当てはまることだろう。 もう一つは、三角測量(triangulation)の視点の重要性だ。 本稿では、パリ五輪開会式の騒動について、日本人の視点から韓国、そしてフランスを論じてみた。国際関係を理解し、良好な関係を築いていくためには、相互理解の溝が残っていることを前提として、フランス人が韓国を眺めるように韓国人は日本を眺め、日本人がフランスを眺めるようにフランス人は韓国を眺める姿勢が必要だろう。そうすることによって、他者への視点が、もう一方の他者への視点に共通することに気づくことができる。 スポーツの祭典である五輪を少し斜めから見ることによって、国際情勢の現実が浮かび上がってくるだろう。
吉永ケンジ