「最強生物クマムシ」は月面で異常繁殖して怪獣化する?
科学者が本気で危惧することは?
怪獣襲来はさておき、今回の件で科学者たちが本気で危惧していることが一つあります。それはクマムシの身体や、一緒に運ばれた人間のDNAなどによる月面の汚染です。「月面にはだれも住んでないし、繁殖もしないのなら別にいいじゃん」と思われるかもしれません。確かに、私たちの生活にとっては大した問題ではないのですが、科学の重大テーマ「地球外生命体探査」に重大な影響を与えかねないのです。 現在、地球の外に生命が存在するかどうか、木星や土星の衛星、火星、小惑星、果てははるか遠く、太陽とは別の恒星の周りを公転する惑星である系外惑星をも対象に、探査機や望遠鏡を用いた探査が行われています。月もその例外ではありません。 前述の通り、月「面」に、「地球型」生命が「活動」している可能性はゼロですが、例えば月の「地中」に、「非地球型」生命の痕跡が「眠って」いる可能性は否定できません。実際月には、年間を通して日陰になっている地域や、大昔に溶岩が流れた跡が巨大洞窟になっている場所が見つかっています。将来、そのような場所で宇宙由来の有機物質や、地球外生命の痕跡が見つかるかもしれません。 地球外生命体の探査には、いくつかの目的があります。 (1)地球の外に生命は存在するか? (2)地球生命の起源は地球外か、それとも地球内か? (3)宇宙に生命が普遍的に存在するとすれば、「地球型生命」は普通の存在か、それとも特殊な例外か? しかしながら、もし月面がクマムシやそれに付着した微生物、人間のDNAによって汚染されてしまえば、将来、月で生命の痕跡らしきものが見つかった際に、それが本当に宇宙、あるいは月由来のものであるという確信が得られない可能性があります。百歩譲って、仮に見つかったものがクマムシ丸ごと、あるいはまだあまり断片化されていない、長いヒトやクマムシのDNA分子であれば明らかにノイズとして除外できますが、月に降り注ぐ放射線などによって非常に小さなDNAやタンパク質の断片にまで風化してしまった形であれば、もはや宇宙由来のものと区別はできないでしょう。そうなると、生命の痕跡らしきものが月で見つかったとしても、もはやもろ手を挙げての大発見というわけにはいかないばかりか、最悪の場合、誤った科学的結論を導く恐れがあります。 というわけで、月がクマムシであふれ返ったり、クマムシ怪獣が出現したりする可能性はないものの、月面汚染による科学的な被害は笑い事では済まされない、というお話でした。地球においても、人間が新しい土地にそれまでいなかった生物を持ち込んで、そこの環境を変えてしまうということは、幾度となく繰り返されてきました。これからは、宇宙のフロンティアへの生物の持ち込みについても、よく考える必要がありそうです。
◎日本科学未来館 科学コミュニケーター 福井智一(ふくい・ともかず) 1977年、大阪府生まれ。専門は生物学。大学での研究員勤務の後、青年海外協力隊としてケニアで野生生物保護に従事。その後野生動物写真家としての活動などを経て、2015年より現職。趣味はブラジリアン柔術