夏の冷酒を格別に演出 手磨きにこだわる江戸切子職人・清水秀高さんの技
夏の食卓にひと時の涼を運んでくれるガラス食器。そんなガラス食器を用いた伝統工芸が東京にあることをご存知だろうか。精巧な細工が施された江戸切子は、色のグラデーションも美しく、無色透明の冷酒を嗜むのにも適している。そんな江戸切子の工房を見学しようと、東京都江東区亀戸の工房を訪ねた。
江戸切子職人を志した少年時代の出会い
亀戸駅北口から徒歩5分ほどの商店街を外れた一角に、伝統工芸士・清水秀高さんの工房「清秀硝子工房」がある。決して広いとはいえない6畳ほどの工房の棚には、大小異なる円板型の砥石がいくつも並ぶ。清水さんは横浜生まれの42歳。古希を越えても現役が当たり前の伝統工芸士の世界では、まだまだ若手中の若手だ。
「小さいからモノ作りが好きで、将来は大工か陶芸家になりたかった」と話す清水さんは、高校に上がる頃には切子職人を志していたと話す。 「中学2年の時に、親に誘われて地元デパートの伝統工芸品展に行きました。そこで江戸切子の実演をしていたのが、後にお世話になる師匠。それから毎日のように実演を見に通ううちに、『この仕事やってみたいか?』って聞いてくれて、工房を見学させてもらうことになったんです。」 高校を卒業するとすぐに亀戸の工房の門を叩く。そして、そこで15年ほど研鑽を積んだ後、2007年に独立して現在の工房を設立した。
歴史の中で変遷していった江戸切子
江戸切子の歴史を紐解くと、その起源は江戸末期までさかのぼる。1834(天保5)年に、江戸大伝馬町(現在の日本橋)のビードロ職人・加賀屋久兵衛が、金剛砂(石榴石の粉末)を用いた彫刻技法を編み出したのがはじまりだ。 「昔は水で溶いた金剛砂を固定された金板の上に流し、金剛砂をヤスリのようにして文様をつけていたといいます。弟子が上から砂を流し、師匠が削るという二人がかりの作業。金板からこぼれた金剛砂とガラスの削り粉を拾い、再利用する金剛砂だけを取り出すのは一番下の弟子の仕事だったと伝わっています」と清水さんは説明する。