借金50億、懲役370年ーー。「悪あがきして生きのびた」村西とおるが死にたい夜に考えていたこと
「死にたくなった時には下を見ろ。俺がいる。ずっとずっと、ずっと下にいる。だって、前科7犯なんていないよ。借金50億抱えた人だって、そうそういないよ。懲役370年って言われたことないでしょ。俺はそれでも生きてるんだから」何度も「自殺したい」という思いに駆られた村西とおる監督は、なぜ逆境を乗り越えられたのか。「性」「金」と欲にまみれたように見える彼の半生は、「死」と隣り合わせだった――。(文:岡野誠/撮影:yoshimi/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部、文中敬称略)
4回死んでもまだ足りない生き地獄に堕ちた日
村西とおるは、希望と絶望の淵を交差しながら生きてきた。地元・福島の高校を卒業後、バーのボーイや英会話教材のセールスマンなどで成功を収め、32歳の時に裏本製作販売を始める。そして、4年後の1984年にクリスタル映像の一員として、アダルトビデオ業界に参入。自らカメラを担ぎながら、監督・撮影・出演をこなして旋風を巻き起こした。 そんな彼が死ぬしかないと初めて思い詰めたのは38歳の時。ハワイで撮影をしていた1986年12月、スタッフや女優15人とともに旅券法違反などの容疑で逮捕されたのだ。指導者という立場から各人への責任が村西に累積され、懲役370年を求刑された。 「初めて自殺したいと思ったね。拘置所で40人くらいの収監者たちと一緒に過ごしたんですよ。観光地だから、全世界から殺人鬼のような悪漢諸君が集まっている“悪漢オリンピック”みたいな場所で。その中に入れられて懲役370年を食らうと考えたら、絶望的になるよね。肉体的にもしんどかった。私がシャワーを浴びていると、横綱みたいな巨漢が3人ぐらい入ってきて、羽交い締めにされるんですよ。前から後ろから。もうおかしくなっちゃうよ」
このとき、村西はある憧憬を抱いた。 「ハッキリ言って、死刑囚より俺のほうがつらいなと。だって、懲役370年だから。4回死んでも、まだ故国の土を踏めない。死刑囚に憧れましたね」 いったい、どのようにして九死に一生を得たのか。 「日本の感覚だと、起訴されたら99.9%有罪になる。ただね、だいぶ時間が経ってからだけど、アメリカには司法取引があると知ったんですよ」