リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
9シーズンにわたって指揮をとった名将ユルゲン・クロップの退任により、ひとつの時代に終わりを告げたリヴァプール。本稿ではクロップとともに新たな黄金時代を築き上げたジョーダン・ヘンダーソンの自著『CAPTAIN ジョーダン・ヘンダーソン自伝』の抜粋を通して、主に2015-16シーズン以降にリヴァプールが歩んだ軌跡に焦点を当てて振り返る。今回はクラブのレジェンドから腕章を引き継いだ新キャプテンの葛藤と苦悩について。 (文=ジョーダン・ヘンダーソン、訳=岩崎晋也、写真=AP/アフロ)
「なぜ僕ひとりがトロフィーを受けとらなくてはならないのか」
僕は感情を汲みとるのが上手なほうだと思う。ただしそれは人の気持ちであって、自分の気持ちとなるとそうはいかない。そのせいでいろいろな経験をしてきた。人を助けることには積極的でも、助けられる側になるのは苦手だ。人の問題には手を貸したいと思うのだが、自分のこととなるといつも、殻に閉じこもってひとりで処理しようとする。 自分の問題は人に触れさせず、人の問題には助け船を出す。それが僕のやりかただった。選手生活のなかで何度か起こったごたごたも、たぶんそれが原因だ。僕はときどき、ほかの人には些細と思われるようなことが気になってしかたがない。自分の正しさを証明するためにキャリアを過ごしてきたと感じることがあるのも、きっとそのせいだろう。 僕という人間にはさまざまな要素が奇妙に混ざりあっている。自信はないわけではない。自分はいいサッカー選手だと思う。仕事量の豊富さは認められていると思うし、与えられた才能を十分に生かしていることを誇りに思う。また、僕にとってサッカーはフィールドで走りまわっているときだけのものではなかった。それはわずかな部分にすぎない。試合でポジションについている時間以外でも、いつもリヴァプールやイングランド代表のために働いてきた。 とはいえ、自分は手にした栄光や賞賛に値するのかという疑いはぬぐいされない。リヴァプールで優勝トロフィーを掲げたときは、ユルゲン・クロップ監督こそこの役目にふさわしいと思ったし、ジェームズ・ミルナーもともにこのステージに立つべきではないかと考えていた。 これはみんなでやったことだ。誰かひとりの力でトロフィーを勝ち取ったわけではないのに、なぜ僕ひとりがトロフィーを受けとらなくてはならないのか。