リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
2019年6月、マドリードでトッテナムを破り、UEFAチャンピオンズリーグで優勝したときは、トロフィーを掲げてほしいとクロップに言った。優勝できたのは、あなたがチームの進むべき道を示し、全員でそれに従ってきたからこそだ、と。ところが、その申し出は拒絶された。ミルナーには、ステージで一緒に並んでトロフィーを受けとってほしいと言った。だが、やはり断られた。 僕はこれまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた。ここ数年、リヴァプールがトロフィーを獲得したときはいつもそう感じている。僕がいなくてもチームは優勝しただろう、と。 僕はルイス・スアレスでもスティーヴン・ジェラードでも、フィルジル・ファン・ダイクでも、モハメド・サラーでもない。僕がいたから勝ったわけではない。当然、自分の役目は果たしてきたが、僕はチームが勝つ究極の要因ではなかった。僕はそう考えてきたし、プロになってからずっとその考えは変わっていない。 僕が主将でなくても、チームに所属していなくても、リヴァプールは同じように優勝できただろう。 たしかに主将として高く評価されるかもしれないが、チームが上向いたのはクロップのおかげだ。2015年10月の監督就任時から、選手たちは彼の方針を受け入れた。既存の選手たちは彼のもとで向上した。新加入の選手たちはそれまで以上のレベルに達した。 クロップのもとで僕がキャプテンマークをつけたが、もしかりにミルナーが主将に指名され、僕はチームを去っていたとしても、クロップがチームにもたらした強烈な野望と信念で、リヴァプールは同じように成功を収めていただろう。少し自分に厳しい評価かもしれないが、ほんとうにそう感じているのだ。
スティーヴン・ジェラードから受け継いだ腕章
2015年の7月、スティーヴン・ジェラードがロサンゼルス・ギャラクシーに移籍したとき、リヴァプールの主将に任命された。彼がしてきたことをそのまま引き継ぐことはできないというのは明らかだった。スティーヴィーはリヴァプールのアカデミー出身で、クラブとも密接な関係にあった。また、エムリン・ヒューズやフィル・トンプソン、グレアム・スーネスといったレジェンドとも同じ道を歩むことになるが、伝説の主将たちと自分を比べはしなかった。僕は自分なりにこの役目を果たさなければならない。 まず、間違いなくできるのは更衣室でチームの選手全員の助けになることだった。仲間に手をさしのべることで、頼りがいがあり、困ったことがあれば話に来ることができる存在にはなれるはずだ。チームメイトたちに自分を捧げる――その点は、いまに至るまでずっと変わっていない。 主将として、僕はそれを方針とした。そのおかげで、ピッチの内外で全員の力を引き出すことができたと思っている。僕は誰とでも深く結びつくことができる。スーパースターでない僕は、すべての選手に最高のパフォーマンスを発揮してほしかったし、仲間だと思ってほしかった。みんなより高い位置にいて、近寄りがたい人物になるのは嫌だった。 いつでも、勝利を目指すために、ほかの選手たちとよい連携を築きたいと思ってきた。選手たちの向上の役に立ちたかった。スティーヴィーがしてきたことすべてを代わりにやることはできない。それは主将になったときからわかっていた。それを目指してもいなかった。ともかく、自分らしくふるまうしかない。また、主将として必要な、自分よりも他者を優先できるという資質は備わっていた。ちなみにスティーヴィーは、その資質を持ち、しかもチームの象徴だった。