リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
たぶん、僕が求めていたのは…。アダムにすべてをさらけ出した
リヴァプールに加入したのは2011年のことだが、とくに最初の数年は、深い闇のなかにいることもあった。プレーが悪かったり、求められる水準に達していなかったりした。リヴァプールがサンダーランドに支払った移籍金に見合った働きではなかった。そのため、練習のあと、リヴァプールから数キロ北にあるフォームビーの自宅に帰ると、サッカーのことについてはパートナーのレベッカ(ベック)とも誰とも話さなかった。 そのころは、自分だけでなくベックにも、あまり友人がいなかった。僕たちが知りあったのは11歳のときで、一緒にサンダーランドからここに引っ越してきたばかりだった。ふたりとも、まだ20代に入ったばかり。彼女には誰も知り合いがいないうえに、家のなかでは僕が不機嫌にしていた。なぜ僕に我慢できたのか、いまもときどき不思議に思うくらいだ。 最近、あのころの暮らしや、僕の機嫌の悪さについてどう思っていたのか聞いてみた。すると、陰気な人だと思っていたという答えが返ってきた。まさにそのとおりだ。僕は落ちこむと、チームの誰にもその理由を話さなかった。重荷になってしまうと思って、殻を閉ざしていた。みんなそれぞれにやらなきゃならないことがある。誰だって問題を抱えてる。僕が怪我をしたとか、調子が悪いとか、そんな話はされたくないだろう。そんなことを思って、僕は決して感情を打ち明けようとしなかった。少なくともあのころはそうだった。 当時のことを、いまでは笑い飛ばせるようになった。クロップ在任期間の前半だった2017年11月に、チャンピオンズリーグのグループリーグでセビージャに3点リードを追いつかれて引き分けに終わったとき、僕は自分を責めた。そうした事態を食いとめるべき中盤の底でプレーしていた自分がこんな結果を招いたのだと失望した。 僕はすべての責任を自分で背負いこんでしまったのだが、それはチームに不運が重なったことの結果だった。こんなことがあると、さまざまなことを考えてしまうものだ。ともかく、僕はそうだった。このシステムの守備的ミッドフィールダーとして十分な能力が自分にあるのか。どうしてこれほどのゴールを献上し、ぶざまな姿をさらしてしまったのか。持てる能力を発揮するために、何をすればよいのか。 僕はこうした問いへの答えを求めていた。チームの力になりたかった。誰かにこのことを話したかった。 だから翌日に、いちばん親しいチームメイトのひとりであるアダム・ララーナに、迎えに行くから一緒にトレーニングに行こうとメールを送った。アダムは聡明な男だ。率直で、いつもありのままの自分でいる。彼は何かを察したのか、車に乗りこんでしばらく黙っていたあと、「大丈夫か?」と尋ねた。僕は思いをすべてさらけ出した。 たぶん、僕が求めていたのは敬意だ。心の奥底にはいつも、もっと評価されてもいいはずだという不満があった。それを手に入れるには、これまで以上に努力しなくてはならない。 ※次回第2回連載は7月8日(月)に公開予定 (本記事は東洋館出版社刊の書籍『CAPTAIN ジョーダン・ヘンダーソン自伝』から一部転載) <了>