現場に赴き、迫真の物語に 「足で稼ぐ」気鋭の講談師・宝井琴鶴さん、市場開拓目指す
かつて落語家の春風亭一之輔さんらも研鑽を積んだ大衆芸能の専門館「横浜にぎわい座」(横浜市中区)の「登竜門シリーズ」で、横浜出身の講談師、宝井琴鶴(きんかく)さんは神奈川県内各地にゆかりのある講談を口演して聴衆をうならせてきた。にぎわい座にその実力が認められて今年1月の8回目で卒業し、6月23日に卒業後初となる独演会を迎える。 登竜門シリーズでは回を重ねるごとに入場料の値段が上がり、その分、求められる話芸のレベルも上がった。卒業できない人もいるとされ、「プレッシャーの中で格闘し、自分にひとつの軸ができた」と振り返る。 ■中学生で講談修羅場塾に 物心がつく前から両親と親交のあった師匠の宝井琴星(きんせい)さんの講談会に連れていかれるなど、講談は身近な存在だった。小学生のころには国語の教科書の音読を先生から褒められるようになり、中学生になってから琴星さんがアマチュア向けに講談の指導を行う東京の宝井講談修羅場塾に入った。 中高年の男性たちの中でただ1人の女子中学生。吉原遊郭が現存していたころを知る高齢男性が吉原を舞台にした「紺屋高尾」を生々しく語るなど、人生経験に裏打ちされた話芸がそこにはあった。「品行方正な学校とは違い、刺激的だった」といい、発表会で高座を踏んだ。 高校の卒業に向けた課題研究のテーマも「講談」にし、前座や二ツ目にインタビュー。自らが将来、後輩になるとは思わずに「うまくなりましたね」と客目線で寸評することもあった。「今から思えば生意気でしたよね」。リポートは巻物状にして提出した。 当時は生業にしようとは思わず、大学卒業後、農業系の本を出す出版社に就職した。希望の編集部ではなく営業に配属され、原付きバイクに乗って農家を回った。本を買ってもらうためには会話を弾ませる必要がある。天気やクマ出没などの話題で糸口を探る中で「これは話芸だな」と思うようになり、気づけば話芸の講談で身を立てようと決意するようになった。 講釈師、見てきたような噓をつき-。針小棒大に語られる講談に対するシャレの一つだというが、大師匠である宝井馬琴(ばきん)さんからは「今の講釈師は見てきた上で、噓をつかないとダメだ」と言われた。琴鶴さんはインターネットで即座に調べられる時代に迫真性がある講談に仕上げるため、「足で稼ぐことを大切にしている」。物語の現場に赴き、地元の人の言葉に耳を傾ける。