性虐待の被害を文章にするのは桁違いにハードルが高かった。勇気を出して書いたことで「相手がおかしいよ」と複数人に言われ、ようやく呪縛が解けた
父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。 何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。 * * * * * * * ◆書くことで内側が整うのを感じた 虐待被害の実態を表で書くと決めたものの、当初は自分の体験を詳細に綴る勇気がなかった。ふんわりとぼかした内容をSNSで発信するだけの自分に、何の意味があるのだろう。そう思っては臆するの繰り返しで、父から受けた性虐待の事実を自分ごととして文章にできたのは、発信活動をはじめて3ヵ月後のことだった。暴力や暴言の被害を書くことに比べて、性虐待のそれは、桁違いにハードルが高かった。 誤解してほしくないのだが、「性虐待が一番つらい」と言っているわけではない。虐待の種類によって痛みが決まるわけではないし、そもそも痛みは人と比べるものではない。性虐待以外の虐待被害を軽視しているわけでは決してない。ただ、あくまでも私の場合、性虐待被害を打ち明けるのにもっとも勇気がいった。それだけの話である。 「知られたくない」という恐れ、羞恥、戸惑いが終始襲いかかる。その気持ちに拍車をかけるように、心ないDMやコメントがいくつも届いた。それらを見るたび、喉を塞がれたような思いがした。 「本当はあなたも楽しんでいたんじゃないですか」 そんなわけあるかよ、ふざけんな。そう怒鳴り散らしたくとも、相手は匿名の人間で、どこの誰かもわからない。「言葉」という拳で殴り続けられる日々は、どんなに嬉しい瞬間があろうとも、やはり楽ではなかった。だが、昔から慣れ親しんだ「読み書き」の時間が増えるにつれて、内側が整っていくのを感じていた。 私は、思っていることを口頭で伝えるのが至極苦手だ。相手の表情や空気に臆して、自分の思いをすぐさま飲み込んでしまう。笑いたくなくても笑い、謝らなくてもいいのに謝り、許したくないのに許してしまう。でも、文章でなら伝えられた。怒りを、やるせなさを、悲しみを、痛みを。両親が私に押し付けたものを伝えるにあたり、私には文章以外の方法がなかった。