「お金がなくて何度も泣いた」地方公立校から“塾ナシ”で東大合格も仕送り“ナシ”だった男性が、東大院に在籍しながら大手上場企業で業績を挙げるまで
僕は、三重県伊勢市で高卒の両親のもとで育った。決して裕福ではなかった。塾には行ったこともない。大学進学後は仕送りがなかった。あまりにお金がなくて、何度も一人で泣いていた。そんな僕も、セミの自由研究で内閣総理大臣賞を受賞し、夢だった世界大会に行くことができた。東京大学に進学し、孫正義育英財団の1期生に選ばれ、上場企業で科学的アプローチ推進を進めることができるようになった。手ごたえもある。でも、僕はまだ何も成し遂げていない。これから成功する保証なんてどこにもない。 ただ、僕はスタートラインに立った。 道半ばの僕でさえ、メディアに取り上げてもらうことがある。 褒めてもらえるのは嬉しいけれど、なんだか変な気持ちになる。 「それは矢口君だからできるんだよ」 そんな言葉をかけられることが増えていった。 でも、本当にそうなんだろうか。 違う。 人には言えないような恥ずかしい失敗、悔しいこと、惨めな思い、そんな経験ばかりだったじゃないか。そんな中でもあきらめず、「藁をも掴む」想いで必死にもがいて、なぜだか転がり込んできた幸運の積み重ねで、今やっとスタートラインに立てたんじゃないか。 きっと、世の「成功者」だって、そうだったんじゃないのか。 僕たちは成功者の「成功」を知っている。後からもっともらしい理由はいくらでもつけられるし、「天才だったから」と片付けてしまうこともできるけれど、本当はただただ、何度も繰り返し打席に立った結果、成功を掴んだ人もたくさんいるんじゃないのか。 この本を書くか悩んでいた時、幼い頃から父に何度も聞かされていた話を思い出した。実業団のアスリートだった父は、引退後に指導者としても多くの選手を育ててきた過去があった。 「もし自分が何かの道で努力をし、幸運にも恵まれたのなら、それを自分のものだけにしたらあかん。後に続く人が、自分よりも良い結果を残せるよう、道を作らなあかん。自分が苦しかったこと、もっとこうだったら、そう思うことがあるなら、それを整えてやるんや。だから、お父さんは自分の記録が破られたとき、今の若い人がお父さんよりずっといいタイムで走るとき、嬉しい気持ちになるんやで」