ディジュリドゥ奏者・画家GOMA「交通事故で脳に障害、記憶を失っても音楽活動は諦めなかった。意識が戻る時に見てる〈ひかりの世界〉を描かずにはいられない」
◆退院した翌日に、娘の絵の具で描き始めた 事故直後は自分がディジュリドゥ奏者であることも忘れていたのですが、お医者さんから、「記憶には脳が覚えている記憶と、体が覚えている記憶の2種類がある。体の記憶は少々の傷くらいでは影響を受けないから、リハビリを頑張りましょう」と言われて。ほんまかいな、と思って吹いてみたら、循環呼吸がすぐにできた。すごいですよね、体の記憶って。 そこで、事故後7ヵ月でバンドの練習を始め、11年には音楽活動を再開。けれど、最初の頃は何をやっているのかよくわかっていない部分もあった気がします。みんなに背中を押されステージに上がって、とにかく吹いて帰ってくる、みたいな感じで。 でも、お客さんが楽しんでいる姿を見ることは、リハビリをするうえで活力になった。作曲して曲を覚えられるようになるには、8年くらいかかりましたけど。地道に練習を重ね、体に覚えさせるしかない。これは、今も同じ。 絵を描き始めたのは、退院した翌日のこと。突然「絵の具ある?」と妻に尋ね、渡された娘の絵の具を使ってひたすら点を打ち始めたのだとか。なぜ絵を描き出したのか、なぜ点描なのかはいまだにわかりません。 ただ、点を打っていると頭の中が整理され、物事の時系列などもはっきりしてくる。僕はあの日からずっと、描かずにはいられない衝動に駆られ続けているんです。
事故から15年経つ今も、脳の損傷部分に電気が流れ、痙攣を起こすことで意識を失って、静止状態になったり、倒れたりすることがあります。ステージ上で発作に見舞われたこともあるのですが、回復にかかる時間は、短い時で10分、15分。時には1週間くらいかかることも。 そうして意識が戻る時、必ずひかりの中を通ってこっちの世界に帰ってくるんです。脳の研究をしている方に聞くと、臨死体験をした人は性別や人種に関係なく、このひかりの話をする人が多いのだとか。 最初はただ点を打っているだけで、絵とは言えないものでした。でもきっと、消えていってしまう記憶の代わりに何かを残そうと、無意識に行っていたのでしょうね。 今は、奥のほうは真っ白な強いひかりで、こっちの世界に近づくにつれてだんだんと色がついてくる、そんな、意識が戻る時に僕が見ている《ひかりの世界》を残しておきたいという気持ちで描いています。これは、この脳を持つ僕だけが描ける世界ですから。